寄稿 高校16回

一 本 道

萩野順司

  監督 新島 清 先輩 

部長 門田 先生

顧問 久和 先生

   青柳 泰治

   阿部 勝利

   主将 池上 邦俊 (故人)

       岡部 信也 (故人)

   鬼木 勉

   木津 岩光

   豊田 泰之

   萩野 順司

   本田 義幸

   松尾 成宏

   松重 正雄

   安武 弦

福高に入学した時に 運動部に入ろうと思いました 

その時に全国大会に出ている部は ラグビー部だけでした  

それで やったことも 見たことも 聞いたこともないラグビー部に入部しました

これが 私のその後の人生を決めました   

練習のキツさは先輩 後輩の皆さんが書いてあるのと 全く同じでした  

その頃大学 社会人でラグビーをやってある先輩が多かったもので 7月に大学が夏休みになると 高校生よりOBのほうが多い状態でヒドイものでした 

スピード 体力に雲泥の差があるものですから どうしようもありませんでした

花園は 1年の時は行けず 2年の時は日野博愛キャプテンの許花園に行きました 3年の時は行けずでした

3年の時は九州大会 国体 花園 三回とも小倉工業に負けました

小倉工業に負けたと言うより 桂口 力選手に負けました 福高ですから桂口 対策 戦略を立てて挑んだのですがそれでも負けました 

彼は昔の皮のボールでハーフラインからゴールポストを狙うような技量の持ち主でした

その後法政大学 九電でラグビーをやりジャパンに成りました

福高を卒業してから60年 来年は80歳になります 振り返ってみますと 福高ラグビーから始まった一本道が真っすぐに見えます  

その道に60年まえに踏み込んで大学でラグビーをやり サラリーマンを卒業しました

この道を 右に寄ったり左に振られながらも踏み外さずに来たと思っています 我が人生に悔いなし

この 一本道 は今後100年後も続いていくと思います