寄稿 高校26回

柔軟な発想

橋爪明信

「福高は2番が投げとるやん。なんでやねん!」
花園ラグビー場のメイン会場で今まさにボールを投げ入れようとした時、私の背中の方から観客席の子供の声が聞こえた。今ではラインアウトはフッカーが投げ入れているが、当時の2番はスクラム組んでフッキングするのが主な仕事。スローイングはフランカーがするものだった。その子は初めて見る光景にびっくりしたのだろうが、フランカーがラインに入るのは理にかなっている訳で時代を先取りしていたことになる(諸説あります)。先例に囚われない柔軟な発想。さすが福高!

ポジションチェンジも柔軟な発想で行われ、我々の同期も大半が複数のポジションをこなした。中にはセンターでデビューし次にロック、またバックスに戻りフルバック、最後はナンバーエイトとなった者や、デビューは15番だったが次にいきなり2番、最後は1番まで昇り詰めた者もいる。なんとユーティリティで才能あふれるプレイヤーだったことか(これはあくまでも本人たち個人の見解です)。実際はけが人続出でやらざるを得なかったのが実情だったような気もするがもう忘れた。さすが福高!

これも柔軟で斬新な発想からか、門ちん(失礼しました門田先生でした)が我々の同級生の女子二人にマネージャーを依頼したのである。先生からは会計だけ手伝ってくれたらいいと言われて承諾したらしいが、マネージャーはマネージャーである。ここに福高初のいわゆる〝女子マネ″が誕生することになる。今のマネージャーと違って会計のみでありグランドには出てこないが、大事な試合には応援に来てくれたりしていた。これが縁でその内の一人Mちゃんはすっかりラグビーの虜になり、結婚して生まれた男の子には迷いもなくラグビーをやらせたそうである。凄いことだ。さすが福高!

当時を振り返ると練習のつらさや試合中の苦い思い出ばかり浮かんでくるが、3年間ラグビーに打ち込んだことには今でも満足感を覚えるし誇りに思える。ただそれ以上に、何よりも、終生の友が出来たことの方がうれしい。何ものにも代え難いことだ。さすが福高!そして、ありがとう福高ラグビー!