寄稿 高校34回

チビAさん

成瀬徹

兎(うさぎ)年生まれの私が福高でラグビーを始めたのは、昭和の香り満載の1979年(昭和54年)でした。その頃の練習に、ランニングメニューの最後に”うさぎ跳び”なるものがありました。文字通り、うさぎが跳ねるようにピョンピョンとゴールラインからハーフラインを折り返す結構いろんなスポーツで行われたものでした。いつのまにか”膝に悪い”とかで、ほとんどやらなくなったこの”昭和”の練習が、私はとにかく苦手でした。そんな中、もう一人うさぎ跳びが苦手な同級生がいました。彼は、もう一人Aがいたので、背が低い方のA、チビA(本人の許可を得てないので仮名にします)と呼ばれていました。かれは160センチ台の身長でBKでしたが、足のサイズが28。手足も長くいずれは大きくなるな~なんて思っていました。しかし、花園予選決勝が終わるとラグビー部から離れてしまいました。それから学校内ですれ違ったりした事はあっても、彼とラグビーの話をした記憶はありません。まったく接点の無いまま時は流れて・・・初めてラグビーW杯が開催された1987年(昭和62年)頃。大学ではクラブチームでラグビーをやっていた私の主戦場は東京・江戸川の河川敷グランドでした。ここはいろんな年代レベルの試合が行われていて、その日も自分の試合の前の試合を眺めていました。そのメンバーの中に見覚えある姿が・・・そう”チビA”さんがプレーしているではないですか、それも180センチをはるかに越える”大型ロック”として、ラインアウトでジャンパーとして跳んでいました。まさかと思いましたが、チームメイトからAと呼ばれていたし、顔が私の知る”チビAさん”そのものですから間違いありません。ただ、そこで本人に声をかけ、”チビAさん”と話をしたかどうかはまったく記憶にありません。何せ35年くらい前ですからお許しを。でもきっと彼の中にラグビーの火がくすぶっていたのでしょう。半年あまりとはいえ、福高ラグビー部の仲間として汗を流した同級生と、遠い東京の地で遭遇できるなんて・・・すごくうれしかったな。うさぎ跳び談義やりたかった