寄稿 高校40回

記憶

平井靖大

言葉として形にするほどの清らかな青春ではあるまい。
高校時代の思い出…
それは今日もきつい、明日もきついだろう、それが漫然と永遠に続く世界だった。
情景として必ずそこにあったはずのグラウンドの凹凸やボールの軌跡、スクラムの記憶は何処かに霧散してしまい、只々きつかったという心情の記憶が、遥かに大きな思い出として心の中を占めている。
そのきつさは苦労なのかと問われれば、決してそうではない。むしろ全く逆の道楽だったのである。頑丈で丈夫な五体を使って、有り余る時間に、有り余るエネルギーを発散させる。理屈だけを並べれば、なんとも贅沢な話だ。ここだけにスポットを当てたらラグビーは素晴らしい。
しかしここに心情が加わった途端、きつい、イヤだ、となるのだから只々、己の弱さを知る羽目になる。
本来、道楽である筈なのに、そうだと薄々わかってはいるのだが、明日が来るのを拒みたくなる気分になるわけだからどうしょうもない。

しかも、同じ思いをしている仲間達が周りに存在するのだ。仲間達に騙されているのだろうか。仲間達が騙されているのだろうか。己が騙しているのだろうか。
こんな疑念はとうとう高校時代には解決出来なかった。そもそもだが誰も騙してなどいなかったかもしれない。
良い言い方をすれば、仲間がいたから乗り越えられたとも言えるが、悪い言い方をすれば、仲間がいたから乗り越えるしかなかったのだ。

きつい思いをする目的は、当然勝つためなのであるが、結果は何も残らなかったわけで、まさしくよくある文学作品の結局全部無駄だったという終わりかたの如しである。それから時を経て、全部無駄に思えたつらい練習も毎日も、意味がなかったわけではないことを知ることになる。もっと勝てていたら、きつい練習ももっともっとやり甲斐を持ってやれたのだろうか。

1年の時、3年生の先輩はとにかくデカかった。そして恐ろしく感じたものである。特にFWの御三方は今でも怖い印象が拭えない。
己もラグビーを続け、3年になれば同じような体になったのだから(あの御三方には到底及んではいないが)、肉体改造を起こすべくキツさも加わるのは当然の事なのだ。
3年生の先輩がデカい理由は、きつい練習のおかげだと自分が3年になるまで―理解力の遅さゆえ解らなかった。
要は高校の3年間で体が作られたのだ。だからこの3年間は尚辛かったのだ。
インターバルとランパスとスクラム……
毎日、白筋だか赤筋だか知らないが、体の全筋肉をフルに使って、体が大きくならないわけがない。

今とは時代が二つ違う昭和の終わりの頃の話である。体育学部が存在して、スポーツ科学なんてのも出始めの頃である。水は飲めた記憶があるが飲めという風潮では決してなく、休みも定期試験前に存在する位であった。プロテインもそんなに普及しておらず、飲んでもとても不味かった。
ルールも多少違うし、メンバー交代なんて無かった。ウェアの素材も綿で硬く重たくまるで違う。
今では練習風景も練習内容も昔と変わったのだろうか。今度、練習を覗かせて貰おう。
100年続くということはそういうことなのか。時代が変わっても尚そこに在る。

己の弱い心に軸を置くと、なんとも辛いだけのつまらない高校生活であったか情けないだけのはなしである。
が、しかし、言葉として形にしなくてはならない美徳もあった事は、紛うことなき事実で。それは現役生にとって鬼のようだった三野先生が、プライベートの殆ど全ての時間を削って我々の指導にあたって下さっていたこと。それは藤義勝先生、牟田口淳司先生も同様であった。現役生の頃にはそのご苦労もわからず、当時素直に感謝できなかった事を恥ずかしく思うばかりである。

BK石橋(副将)、梅村、中尾、永水、原、日名子 FW木村、佐原、角南、水上、安河内、山縣(主将)が同期の仲間として必ずそこにいた。
何故だろう、記憶の中の高校生のこいつらは、あろうことかキラキラと輝いているのだ。
何故だろう、彼らもまた毎日がきつかった筈だ。何故だろう、華々しい勝利なんて無かったではないか。何故だろう。

現役時代の記憶をここに記してみました。
最後になりますが、福中福高ラグビー部100周年。
誠におめでとうございます。そして、ありがとうございます。創設から現在まで様々な場面でご尽力なさった関係者、OB各位に只々感謝を申し上げます。
この部は100層にも重なり合う各同期の繋がりが存在し、この事を想像すると感慨深いものがあります。先輩後輩各個人の繋がりを挙げると、何百何千にもなるのでしょうか。これからさらにこの繋がりが増えていくことを、偏に望むばかりです。

そして現役の皆さんには、きつい思いを心に残しつつも、勝つ喜びを一つでも多く味わい、勝った記憶を数多く残して頂きたいと心から願うばかりです。
きついその世界、そこは人生で数少ない光輝ける場所なのだ。キミたちは今まさしくそこにいる。