中学22回

昭和18年1月 第25回全国大会 準優勝

1943年(昭和18年)卒

部長  松熊覚

主将  清原耕三

部員    

久羽博斉藤守高瀬戸誠永江寿吉原茂美
河野正次武井周一林覚雅南川昌一郎

戦績  

全国大会九州予選 優勝

(福中18-0嘉穂中/福中3-3修猷館 抽選勝ち)

第25回全国大会出場(14回目)準優勝

(福中26-0慶応普通/福中12-0崇徳中/決勝 福中0-6天王寺中)

特記事項

「第25回全国大会、戦前最後の大会の決勝は、天王寺中学対福岡中学の対戦でした。寒く冷たい小雨の降る中で行われ、私たち福中生は気力充実、終始押し気味にゲームを運んでいたのに、後半僅かのスキから1トライを奪われ、終盤1ペナルティゴールをあげられ、結局惜敗しました。試合内容で負けた気がしませんでした。いよいよ表彰式です。福中は全員悔しさでグランドに座り込み涙ぐむばかりでした。優勝旗が授与された後、準優勝旗の授与となったんですが、だれ一人出てゆかなかったのです。とうとうたまりかねて部長が受け取ってきたものと頭の中に刻まれています。主将のキヨタンはじめ全員の言うことがまたふるっていました。『準優勝旗はいらん。優勝旗ならもろうてよか。」(中略)当時の私たちはそれほどに「日本一」「全国制覇」に思い詰めていたのだ、ということになりましょう。練習をあがる時の合言葉は常に「全国制覇」だったのです。」(千代原頭の想い出 P118)

伝統のユニフォームは戦中の物資不足で、染料を節約するため「白地に赤線二本」に変更。

スポーツは全て政府の統制下に入り、全国大会の主催は文部省・大日本学徒振興会となる。戦前最後の大会となった。

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