100周年記念対談 第一弾

歴代会長による対談

テーマ「福高ラグビーに想うこと・後輩へのメッセージ」

日野博愛(高15回)× 豊山京一(高25回)

進行)長井政典(高25回)

左から豊山京一(高25回)、日野博愛(高15回)、長井政典(高25回)

福高ラグビー部の100年の歴史をつないでいくため、OB・OGたちの対談・インタビュー企画を展開していきます。その第1弾として、4月27日、歴代OB・OG会長の対談を「JAPAN BASE」(福岡市東区)で行いました。前々会長の日野博愛さん(高15回)と現会長の豊山京一さん(高25回)に出席いただき、長井政典さん(高25回)の進行のもとで福高ラグビーの伝統について語っていただきました。

長井
― まず福高ラグビーとの出合いからお話しいただきたいと思います

日野
― 私は中学の頃、野球をやっていました。でも、うちの父はラグビーをやっていたから、どうしても私にもラグビーをさせたかったんです。福高を受験したら通りましたので、春休みに野球の練習をみにいきました。野球もラグビーも、だいたい同じ時間帯に練習が始まって、ラグビー部の人たちがランニングパスを始めるときに『おーい、野球』って言ったら、グラウンドに散らばっていた野球部の人たちがバックネットの奥に寄って、ほそぼそとバント練習をし始めた。それを見てね、ラグビーに気持ちが。たぶん親父が敷いたレールにのせられた。それで入りましたけどね。

豊山
― 私も、中学までやっていたバスケットボール部に入ろうと思って、福高に入学した。でも、バスケ部の部員が3人ぐらいしかいなくて。たまたま中学の先輩から「ラグビー部がいい、入れ」と。当時は今みたいにジュニアチームもなかったし、高校に入ってラグビーを始める子ばっかりだった。スタートが一緒だった。
 進行役の長井は福高の同期。中学時代は生徒会長で、運動は全然してなかったけど、高校3年のときにはフランカーでタックルマンとして活躍した。

進行の長井政典(高25回)

長井
― 中学時代の先生たちが「福高入ったらラグビーしたらいいぞ」と言うんです。「どうしてですか」と聞くと「福高ラグビーは伝統がある、名門だ」「何よりもフェアプレー精神、これはいいぞ」と。それでちょっと自信はなかったけど入部して、でも、豊山とか南川(洋一郎)とか、ごつい、凄い選手がいるでしょ。一緒にラグビーすると、きつかったんですけど、なんか、こう一体感っていいますかね。仲間意識というか、それができて。とても楽しかった。

「フェアプレー精神で闘う」  日野

日野
― 私たちの頃は新島(清)先輩、ニイシャンがスクーターでグラウンドにいらしていた。門田(久人)先生という部長がいて、そのサポートを久和(敏郎)先生という地学の先生がしていた。ラグビー協会の関係の方からはルールを教えてもらった。福高のラグビーは常に他校よりもルールを勉強し、それに応じた戦法を教えられていた。その根底にはあるのがフェアプレーの精神だと思う。

当時は福岡電波高が強くなり始めたころ。しつこいぐらいに福高に練習にきていた。でも、けっこうプレーが荒いっていうか、暴れん坊というか。福高はフェアプレー精神で闘った。2年のときは負けたが、3年でリベンジして全国大会に行った。

私が3年のときから全国大会の会場が(西宮球技場から)花園ラグビー場になったので、私たちは花園1期生。2回戦は、この大会で全国優勝した天理高。メーンスタンドの裏側の第3グラウンドだったと思う。下馬評は天理が圧倒的な優位。前半終わったところで「天理高校対福岡高校の試合は前半を終わって、6対3で天理高校がリードしています」と放送が流れたら、メーンスタンドにおった観客が後半はばーと第3グランドにおりてきた。前半の終わりにフルバックが脳しんとうで退場したから後半は14人で闘った。最初の10分を何とか持ちこたえたけど、残り20分でトライをとられて32対3でやられた。

豊山
― 私たちの高校時代には、大学で活躍されている人が夏合宿で合宿長を務めるという、代々引き継がれた制度があった。高校2年のときの合宿長が木原(喜一郎)さん(高19回、明治大主将)。10日間、ずっと泊まり込んで指導してくれた。その年は公立高校として珍しく全国大会の準決勝まで進出することができました。

きょうの対談には前OB・OG会長の木原さんも参加する予定でしたが、急きょ欠席の連絡をいただき、『とよ、私の思いも代弁してほしい』と電話で言われました。今でも木原さんに感謝していますし、その思いを私も福高ラグビー部に継承していきたいと思っています。

長井
― 福高ラグビー部の伝統というものをどう感じてきましたか。

「ジェントルマンシップを体現」豊山

豊山
― 福高ラグビー部というのは九州の高校ラグビーで一番古い歴史を持つ。我々も先輩方から、その伝統をしっかり教わった。ジェントルマンシップ、フェアプレー、ずっと体現してきた歴史がありますし、これからも継承しないといけないと思っています。

長井
― 福高ラグビー部で培った友情とか楽しさって、今でも残っている。大学を卒業して新聞記者になりましたけど、いろんな方と取材とかお付き合いして、ラグビーされた方と会うと、その場で友達になる。心を開いてくれますし、ラグビーしてよかったなと思いましたね。ラグビーってほかのスポーツとちょっと違うんじゃないかと。

日野
― 出身校とか違っても「ラグビー、やってたんですか」と、「どこでですか」って言って、そこで一体感が生まれる。ラグビーは垣根がないっていうのかな。やっぱり激しいスポーツというか、体と体をぶつけあって闘ってきた者同士にしかわからないものがあるんだろうなと。
私は卒業後もラグビーしながら仕事していた。そこで息詰まるというか、壁にぶちあたったりするときもある。例えば営業やっていて、なかなか成績が伸びないとか、そういうときでも、なにくそっていうか、ここでくじけちゃいかんと。手をぬかない、諦めない、くじけない。三つのことをラグビーから学んだ。それは社会に出てからも生きた。38歳ぐらいまで現役を続けましたけど、人との付き合い方とか思いやりとか、を学べたかなと思う。

豊山
― やっぱりオールフォアワン、ワンフォアオール(One for all.All for one)。今の世の中の風潮は自分さえよければいい、っていう感じになっている。謙虚さが失われつつある。ラグビーは謙虚さ。トライしてもガッツポーズとかしない。それはフォワザチーム(For the team)、15人の中の一人だから。ラグビーだけでなくて、社会でも大事なところ。15人で闘うスポーツなんで、その結果がトライにつながる。フェアプレイ、ジェントルマンシップにのっとったスポーツだと思う。
私が学生時代に、早稲田の大西(鐵之祐)先生と明治の北島(忠治)先生が常に同じことを言っていたが、「人がみていないときに卑怯なことはするな」と。モール、ラックでも。その言葉が私の人生訓で。謙虚さを持って、ルールをきちっと守る。卒業して社会人になっても一番大事にしないといけない。

長井
― 福高ラグビー部の伝統をどう継承していくか。

「文武両道 100年継承」  豊山

豊山
― OB・OG一丸となって部員を確保していく。存続の危機ぐらい部員確保が難しくなっている。全国の公立高校のラグビー部の存在自体が危ぶまれている。今、リーグワンで盛り上がり、私立高校にはしっかり部員がいるが、公立高校はどんどん廃部になっている状況にある。少子化とラグビー人口の減少が課題。公立高校でトップレベルを維持するのは全てのスポーツで難しい時代になってきている。
けど、その公立高校で頑張る姿に共鳴してくれる、応援してくれる人たちがいる。文武両道。私が大好きな言葉。これをずっと先輩方は引き継いで、100年間、スポーツだけじゃなく、しっかり勉強もやってきた。それを今も原(雅宜)監督が継承してもらっている。九州で一番古い福高ラグビー部は文武両道を前面に出して、公立高校のリーダーとして率先して頑張っていきたい。
長く続くだけが伝統でない。やっぱり勝ちにこだわるのが大事。競技力向上も、人間教育も両立させる。子どもたちも勝つことによって目標ができる。花園っていう目標があるから、やっぱり勝ちにこだわる。我々の伝統は組織力の強さ。先輩たちが福髙ラグビー部を愛してくれて、サポートしてくれる。
福高のアイデンティティはタックル。現役はひたむきにしてくれると思う。それだけは、ずっと歴史で。高校時代、(村上)令さん(中20回、太平洋戦争で片腕を失うが、復員後に明治大主将としてプレー)から、「両手あるんだろ」って言われて、迫力があった。片手でタックルされていた。
100周年をきっかけに、福高ラグビー部の存在をアピールできれば。若手OBが今、一生懸命頑張っている。「百年分の感謝」「未来への種まき」をテーマにやっている。グローバルな人材を育てる意味で、将来、海外遠征を行うことも目標としたい。

「社会で通用する人材育てる」 日野

日野
― 強さだけでなくて、人間として、社会人として、組織の中の一員として通用するような人材を、ラグビーを通して育てるというのが福高ラグビーだと思います。「品位、情熱、結束、規律、尊重」というラグビー憲章を私自身も大事にしている。福高の生徒には、そういったことを大事にしてもらって、世のため、人のためになっていただきたい。

長井
― 豊山会長が言われた謙虚さ、日野先輩が言われたラグビー憲章にある「品位、情熱、結束、規律、尊重」。社会人として重要なことをラグビーで学ぶ。二人が言われたことは、そこに通じるように思います。

   

日野 博愛(ひの ひろちか) 

1944年生まれ、80歳。高校15回。高校3年で主将として全国大会に出場。明治大でプレーし、卒業後も現役を続け、九州代表に。福岡高OB・OG会長を2007~16年度に務めた。現在は社会福祉法人「ゆうかり学園」(久留米市)理事長。

豊山 京一(とよやま けいいち)

1954年生まれ、69歳。高校25回。高校3年で副将として全国大会に出場。早稲田大学ラグビー部で主将として大学日本一に。日本代表6キャップ。今春まで早大ラグビー部OB会長を務め、2021年度から福岡高OB・OG会長。