9月29日(土)
愛知県からはるばるお越しいただいた、明和高校さんと練習ゲームを行いました。
こたびも、またまた先週に引き続き、大型の台風が接近中!という予報の中、、、
関係者においては、当日の天気、及び、グランドコンディションが、とても とても
心配されておりましたのですが、、、
その当日が いざ やってくるっていうと、、、
幸い、ま だ ま だ、台風の先陣は福岡までにはたどり着けなかったようで、会場の福大グランドは、強風もなく、雨もなく、かえって、台風の接近による曇った天気のおかげにより、プレイヤーにとってはナイスコンディションと、あいなりました模様。
北半球の台風は必ず左巻き。地上の我々はカッパ巻
16時KO。 このゲームのスコア結果は、
福高62 <27(5T) : 35(5T)> : 0 明和
明和高校の両CTBの激しいアタックに 福高ディフェンスが、グッとくい込まれるシーンが何度かありましたが、そのほかは福高85点の出来!
前回より5点アップ!
なにより、後半に交代で出てくる みんな みんな が、その意気やよし!
福高の神輿の動きに、いよいよ勢いが増してきた!
交通ルールを守って走るお神輿。 ラガーもルールを守って、ノーペナよ!
このオッショイ! オッショイ! の勢いで、チームを公式戦までに、徐々に100点にまでもっていき、、、
あとは実戦にて、1ッ戦、、、1ッ戦、、、と、、、さらに、10点づつアップ!
これから膨らむ、チームのすこぶる成長を、みんなで我武者らに楽しんでゆこう!
ポカミスに気をつけて!
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明和高校って、、、 「知っとーや」 「どげなとこや」 「おせーちゃってん」
という会話が、あちこちから聞こえてまいりましたので、
ちびっと、薀蓄を垂らしながら、おせーてあげます。
※前にも言いましたが、薀蓄の 「く」 のとこは、
臍下丹田に力を込め、肛門を締め、し っ か り と、発声してくださいよ!
この 「く」 が聞こえないと、たちまち締りのないこととなって、
周りから白い目で見られてしまいますから。
和をもって明るし!明和高校ラグビー部。
<徳川期> 尾張藩の藩校 明倫堂 (興譲館 [米沢藩] )
<明治期> 武揚学校 → 私立明倫中学校
<大正期> 愛知県立 明倫中学校
<昭和期> 愛知県立 明倫高等学校(新制高校の発足により)
<昭和期> 愛知県立 明和高等学校(県立第一高等女学校と合併)
※現在、定員は普通科8クラス320人、音楽科1クラス40人の合わせて360人
と、こぉー、ゆ い し ょ っ! こ ら し ょ っ! と、歴史を変遷してきた、
とっても 由緒っ! ある、高校なんであります。
音楽科は全国どこをミレド、 ソーファ、ミラレんラシー。
で、その尾張藩藩校、明倫堂(興譲館)の初代学長が、あの 細井平洲!
※興譲館 → 「譲る」 の精神を興して世の中を良くしていこう!
との平洲によるネーミング。
細井平洲さん。(老眼が進行してくると、近くのモノが、こーゆー風に見えてきます。)
興譲館~日常生活では「譲」。プレイ中は「殺身為仁」。
かの内村鑑三の自著、あの「代表的日本人」に登場する、米沢藩の、との上杉鷹山のお師匠さんが、細井平洲。
※「あの」 や、「かの」、「との」、 で、心中タジタジッと崩れかけながらも、なんとか
その場の知ったかぶりでもって、虚勢を構築されようと努力されたみなさま!
ダイジョーブです! 実は私も、急ぎインターネットでひも解き、いまやっと調べ
たばかりの、ほやほやの身なんであります、、、
内村鑑三さん。「余はいかにして切手のモデルとなりしか」
東 経世頭筆頭、「鷹山」(宮崎県高鍋市出身秋月部屋)
では、その明和高校の校風に今も揺蕩う、DNAの元、
細井平洲さんを訪ねてみましょう~~~
<独特万訪 日本史記> by 慎重文庫 より抜粋。
ウー、マンボ ♪
農家出身の細井平洲は、蛍雪の功(←この際調べてみましょう。)あいなって、かの上杉鷹山の師となるのですが、、、
上杉鷹山が、19歳で米沢藩主となったとき、これからどのようにしたらよいかと教えを請うた鷹山に、平洲は次のように答えています。
「勇なるかな 勇なるかな、勇にあらずして 何をもって行なわんや」
<注 : 大切なことは、勇気をもって行う、ということ>
愛と勇気だけがともだちさ~♪
鷹山は、この教えを胸に、新藩主に就任するとすぐに、民政家で産業に明るい人物、財政に明るい人物、陽気で明るい人物、を登用し、江戸藩邸における藩主の給料もそれまでの1500両から、いっきに209両に削減。
経済振興のほうでは、藩内に漆や桑の木を植えて、米沢の特産物を増やし、これによって藩の財政を潤してゆきます。
お勤めご苦労様です!
一方、浅間山の噴火による天明の大飢饉に際しては、非常食を普及し、自らも粥をすすって倹約。
また、藩士たちの給料の減少分については、武士といえども、自ら畑を耕し、植林する等、藩をあげての財政再建に取り組みました。
こーして、我無者らに突き進む、全藩のチームワークの継続、相成って、、、
鷹山、その治世50年の間に、借財を全額返済。
藩財政の健全化をみごとに実現させたのであります。
あなぁた!と~呼べぇば~♪ あな~た!と~こた~えるぅ~♪
寛政8(1796)年、鷹山と出会ってから、32年目のこの年。
平洲(68歳)は、はるばる江戸から米沢を訪ねます。
このとき、鷹山公(45歳)は、わざわざ城から10キロも離れた関根の地で平洲を出迎え、新築間もない普門院というお寺に案内し、旅の労をねぎらったといいます。
敬師の美談として有名な寺院、普門院。
世に有名な上杉鷹山の心の支柱には、実は細井平洲という、こういうりっぱな師がいらっしゃったんですね。
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは 人の為さぬなるなりけり」
~ 上杉鷹山
師弟椿
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こんな偉人にルートを持つ 明和高校さん。
生徒が運営するホームページを拝見させていただきましたが、、、いいですね!
歴史に鑑みることで、わが母校に誇りをもち、自らにプライドをもち、、、
勉学ひとつに偏るにはあらず、文化を嗅ぎ、情を放ち、溌剌と、学校生活を送っておられる校風に心地よく接し得ました。
茶道部。(文化)
明和高校東の七尾神社。(敬神)
歴史と伝統に培われた、両校県立進学校が、その各々の、ノブレス・オブリージュ (プライドを持つ者の責任)を感化しあい、交歓すべく、、、
また、このところ、ノープロブレムオブラート(プライドを持つ者の落とし穴)に包まれてはおるまいか? という、一抹の危惧ある、わが福岡高校ラグビー部に、警鐘を鳴らすべく、、、
今回、いろいろな、お陰様のご縁をもちまして、両校、ありがたくも、このたびあいまみえることができた次第です。
No Press!捕マルジェ!
明和高校のみなさん!
ありがとうございました! 次回、花園にて、ぜひお会いいたしましょう!
異国を旅され、最後はふるさとのお茶で一服どーぞ!
さて、お知らせが二つ、、、
<お知らせ1>
10/5~10/9 開催の、岐阜国体に、
福高から末永(3年)、高屋(2年)が出場します。 応援よろしくお願いします。
<お知らせ2>
10月7日(日)に玄海サニックスグランドにて、
海星高校(長崎)さんと、練習ゲームを行います。
14時30分 KO。
応援よろしくお願いします!
<右ご参照ください!>→ 玄海サニックスグラウンド周辺マップ
[ 9/29(土)のスターティングメンバー]
①小田部(2年) ②榊(3年) ③大穂(2年)
④山口(3年) ⑤瀬尾(3年)
⑥平田(2年) ⑦大原(1年) ⑧末永(3年)
⑨吉松(3年) ⑩井上(1年)
⑪本田(3年) ⑫高井(3年) ⑬若菜(3年) ⑭北﨑(1年)
⑮高屋(2年)
<選手交代>
後半16分、⑭北﨑 OUT → 谷川(3年) IN。
後半16分、③大穂 OUT → 近藤(3年) IN。
後半22分、⑤瀬尾 OUT → 瀧本(3年) IN。
後半22分、⑬若菜 OUT → 渡辺(2年) IN。
後半22分、⑮高屋 OUT → 平(1年) IN。
後半28分、④山口 OUT → 三谷(1年) IN。
2012-10-03 12:10:21 – edit
コメント
明和高校さんは、
「高体連ラグビー専門部」HPの「大会速報一覧」(2012/06/03付け)によると、愛知県で4位の成績でした。
Posted by 試合を見ていない福高OB at 2012-10-03 13:29:53