タックル開眼
荒木喬
私達はOBの御指導に助けられて、連日猛練習に励んでいた。「ファイト、ファイト」「タックルが高い。手を絞れ」「ボールについて走れ」「ボールから目を離すな」「駄目だ、基本通りにやれ」と叱咤激励。 しかし、これならと思われる満足な結果はなかなか得られない。そのつど「今度こそ」と我を鞭打ち、無我夢中で練習に精を出す。先輩の前では怠慢は許されない。
ある日のこと、明大の鳥羽さんが立ち寄られることになった。鳥羽さんについてはすでに松隈、永沼、本田の各OBから色々と聴かされていたが、現日本軍のウイングでは右に出る者がなく、その体力と馬力、突進力では最大の威圧感があるということであった。早明戦の折り、人を引きずりながら二五ヤードも走られたというから相当の猛者らしい。「今日は頑張ってやれ、練習に気合いがはいっていないと叱り飛ばされるぞ」とのこと。三時過ぎに鳥羽さんをはじめ渡辺、松隈、永沼、本田氏等OB軍を相手に練習マッチを行なった。宮内キャップの掛け声で試合開始・・・。競り合い、もみ合いしているうちにOB軍に連続3トライされてしまった。渡辺OBから大目玉。「こんなことでは駄目だ。皆、怖じ気づいたか!」「元気に頑張ろう」と気合いを掛け合う。「そら行くぞ」と宮内の声。富永より渡った石蔵へのパスでやっと初トライが出来た。この調子、この調子とまた始める。誰もがタックルをしても体力におされ、引きずられ、うまくいかない。その時OB軍に渡った球が鳥羽さんに渡った。ちょうど私が一メートル程前にいたので無意識に飛び込んでタックルした。太股の下だったので六メートル程引きずられたが、今離してなるものかと一生懸命に食いさがった。 手の甲は地面につき、さしもの鳥羽さんもついに倒れた。その時「その意気だ!」と本田さんだったと思うが、声を掛けられた。
ああ俺にもやっとタックルが出来た、という熱い喜びが心を満たした。今思い出すと、あの頃の私の体でよく倒せたもんだと驚く。 その時の左手甲のすり傷は今なおその名残りをとどめている。
(昭和49年 福中・福高ラグビー部OB会発行「福中・福高ラグビー50年史 千代原頭の想い出」P.53)