寄稿 中学12回

福中・福高のラガーよ、誇りを持て

新島 清

中園先生によって始められた福中ラグビー部は、綿々と学校、部員、OB、父兄の協力により五十年、その創部当時の精神を失わず、真の学生スポーツの鏡として、先輩から後輩へと血と汗と涙によって伝わっている。

近頃の若い人達は、文明文化の急速な発展によって、困難に打ち勝つ精神力と体力が乏しくなったように感じられる。また学校教育においても知育に重点がおかれ、徳育、体育が軽視されているのではないだろうか。私は私なりにこれを補うのにはスポーツ以外にないのではなかろうか、と考える。 私はその意味で学生のスポーツは非常に重要だと思う。

私は「ラグビー精神とは何か」という問いをよく受ける。私は即座に「ラグビー精神とは、身を殺して仁をなせ」であり、「苦しいこと痛いことに耐える不屈の精神だ」と答える。 ラグビーは十五人が一体となって、一人でも身勝手は許せない。身を挺してチームの為に尽くすことこそがラグビーだ。FWの第一列がスクラムの中で汗と泥の中で掻いたボールが、WTBの華やかな独走につながるのである。ラグビーとは、華やかな独走ではなくて、人の目にはめだたないスクラムの中の一掻きのプレーであり、この縁の下の力持ちが原動力となって勝利へと結びつくのである。

私は戦後最初の外来チーム、オックスフォードが日本に来た時、同大学でのラグビーの評価を訊ねたことがあった。その答えは、文科系の学校は午後は特にスポーツをやる。 特に尊ばれるのは団体スポーツだ、とのことであった。その理由は、チームの一人一人はおのれを犠牲にしてチームに尽くすことであり、これが立派な社会人になる基本であり、チームは小さな社会である、ということであった。

私は学生スポーツの真の目的は、優勝ではない、人間を作ることだと思う。その烈しい練習によって培われる根性と体力であると思う。しかし若い人達にはなかなか理解できないので優勝という目的を作って、その目的に向かって苦しさ痛さに耐え忍ばせ、真の目的である不屈の精神を体得させることだと思う。また優勝は若き日の夢であり、一生忘れることのできない感激でもあると思う。そのことによって自信と誇りを持たせ、 学生スポーツ、アマチュアスポーツの真の目的が達せられると思う。

数多い学生スポーツの中でも、 福中・福高のあり方に特に誇りをもつことは、特別にいい選手を集めるとか、あるいは選手を特別扱いにするとかいうことなく、ただ普通に入学した生徒を、 また素質の如何を問わず乏しい素質の部員でも、努力と汗と涙で鍛え上げるということだと思う。 素質のいい生徒を特別に入学させ、特別扱いして練習をさせれば強いのは当然であって、その優勝も当然である。平凡な中から汗と涙で努力し優勝してこそ、尊い優勝であり一層の感激があり、真の学生スポーツの目的を達することができると思う。 ややもすると学生のスポーツを名声のために利用する等々のことがあるが、これはアマチュアスポーツを害することはあっても、若い人達には何も益することはなく、許されることではないと思う。

これらのことを思う時、わが福中・福高ラグビーの創部以来五十年、血と汗と涙によってその伝統を守り続けてきた輝かしい歴史をこそ、おおいに誇りをもち、その誇りを汚さないよう、先輩・部員一致団結してその誇りを守るべきだ、と考える。

かつて私は、戦地でラガーのもつ誇りということについて貴重な体験をした。ビルマのメイミョウという僻地に駐留していたころのこと、英軍の捕虜が作業に来ていた。それを監視していた兵隊が「新島中尉殿、ラグビーの選手が作業に来ております」と呼びに来た。早速行ってみると、ケンブリッジ大学でTBセンターをやっていた中尉の士官であった。 ながい間の戦闘でズボンも破れ、靴も底革からポッカリ口をひらいており、見るからに気の毒であった。通じない英語でいろいろ話すうちに、その士官もこんなビルマの奥地で、しかも日本の軍人のラガーに会えたことに驚いているようであった。私達はただラグビーをやっておるということだけで、懐しく手を取り合って喜んだ。そしてその日作業に来ていた人には充分な食事を与え、煙草も持っているだけ持っていってやった。そして別れ際に翌日再び会うことを約束して、充分な食事と煙草を用意して待っていたのである。が、その士官は再び私の前に姿を現わすことがなかった。私の親切が、かえって彼の誇りを傷つけたのかも知れない。彼の中には常にラガーとしての誇りがあり、恵みを受けることを恥とする心が動いていたのであろう。そしておそらくこの強さこそが、英国ラグビーのながい伝統を今日に至るまで築いてきたゆえんであろうと思われる。

私は、この貴重な戦地体験が教えるものを、福中・福高のラガーの皆さんに伝え、福中・福高の立派な誇りに更に磨きをかけていただきたい、と願うものである。

われわれが、最も誇りとする真紅に白線二本のユニフォーム、あの真紅は、何を意味するのであろう。若き意気であり、若き情熱であると思う。われわれが心のよりどころである「千代原頭」の部歌こそ、われわれの誇りである。

福中・福高のラガーよ、誇りを持て。そして立派な生徒、学生となり、立派な社会人になられんことを熱望してやまない。

私が経験した尊いこと、考えていること等を、年若き後輩の何かの一助にでもなればと思い 「福中・福高ラグビー五十年史」を作られるに際し、述べさせていただいた。

最後に、 福中・福高のラグビー部を指導していただいた中園先生をはじめ、諸先生、諸先輩、協力して下さった後輩、父兄に感謝すると共に今は亡き諸先生、先輩、同輩、後輩の霊に心よりご冥福を祈りたいと思う。この「福中・福高ラグビー五十年史」の編集作業に日夜あたった久羽編集委員長をはじめ諸編集委員に併せて心より感謝いたしたい。

(昭和49年 福中・福高ラグビー部OB会発行「福中・福高ラグビー50年史 千代原頭の想い出」P.15)