寄稿 中学23回

戦時体制の中で

鶴丸 民夫

昭和十八年四月、時まさに大東亜戦争(第二次世界大戦) たけなわの頃である。日本も緒戦の連戦連勝から、敗戦への憂色が濃くなりはじめた頃である。もちろん学校にも戦争の影響は強く、我我の周囲は、海兵、陸士、予科練と、櫛の歯が抜けるように、軍隊におもむく学友があとを断たない状態であった。このような中で我々は最上級生である五年生に進んだ。

三月には、一年先輩の人達が卒業された。 我がラグビー部も大量の強力な先輩を送り出し、戦力の衰えは極端に目立った。しかも、二年、三年以下の後輩連は、連日、軍需品、食糧増産のため、軍需工場、あるいは農家への勤労奉仕に狩り出され、学業やクラブ活動に専念する暇もない有様で、フィフティーンを組むのは、誠に困難なものであった。

この当時は、ほとんどのクラブ活動が停止され、残ったのは、剣道、柔道の武道と、球技としては闘争精神が盛んであるということからラグビー(ラグビーは、敵国語であるということで、当時は闘球という呼称を用いていた)くらいなものではなかったろうか。

しかし、福中ラグビー部の伝統と、ラグビーを愛された諸先生・諸先輩の暖かい協力を得て、何とか形だけはととのえることができたのは幸いであった。

ただ加藤仁主将をはじめ、我々最上級生として残念であったのは戦時中とはいえ全国的な組織による、名ある大会が、すべて取り止めになり、地方単位による小さな大会のみにとどまったことである。またその戦績も定かでない。

我々として最後にいえることは、諸先輩の大いなる努力により築きあげられた伝統あるラグビー部を終戦後の更に強力な、クラブ活動に引き継ぐことができた一員として誇りをもっているということである。

最後に当時のラグビー部員を列挙する。

五年生
加藤仁(主)TB、鶴丸民夫TB、船越 福重HB、高松欽吾FW、広川久男FW、武井英典FW、松田尊TB、合屋俊二FW、児玉輝雄FW

四年生
国武浩太TB、大橋輝男FW、梅谷幸男FW、古川健作TB、平島幸治TB、上村修一FW

三年生

阿部中FW、河野昭一FW、金沢孝一FW、田尻寛二FW、堀哲雄TB、寺井俊一、松本

(昭和49年 福中・福高ラグビー部OB会発行「福中・福高ラグビー50年史 千代原頭の想い出」P116)