寄稿 高校11回

深紅のユニフォーム

三野紀雄

色鮮やかな赤、真白い二本のライン、福高のユニフォーム。早く着たくて仕方がなかった。このユニフォーム姿でグラウンドに立つと、どこにもどんなチームにも負ける気はしなかった。これ伝統の力なのだろうか。先輩達が辛酸労苦、営々と築き、積みあげてくれた伝統という大きな力なのだろうか。若き青春の一ページに、福高ラグビー部の籍をけがしたことを誇りに思い、このことが私達の現在を支えてくれていると自信をもって、大声で叫びたい。

一月十五日、修猷との定期戦を最後に玉江キャプテンを軸に新チームが発足した。 これから我々のチームだ。 何故昨年は福工に二度も苦汁を飲まされたのだろうか、不思議でならない。私達がバトンを受け継いだとき、門田部長先生は、今年は〝練習で泣け、試合で笑うのだ〟とこう、厳しい表情で(丸いやさしい顔の眉根に皺寄せて)訓示された。覚悟はしていたものの何か胸につまり、武者震いをおこし、今年はやらねばという最上級生としての決意を新たにしたものである。昨年のメンバーのうちFWに六人も残り(特にフロントロー、セカンドローは全員二年生。セカンドロー相浦は残念ながら三年になると進学のため退部していったので五人)、キャプテン玉江、バイスキャプテン(バックスリーダー) 山田を両輪にして「俺達の代は全試合勝とうをモットーに練習に励むんだ」と誓い合って、早々とグラウンドに飛び出した。

二、三月、本年度初の公式戦である新人戦で地区予選の西南、水産は一蹴したものの、県大会で「全試合勝とう」は早くも崩れた。 北九州の雄 常盤高(昨年全国大会予選で修猷と決勝戦を行ない借敗)に敗れてしまったのである。レイトタックル等荒いゲーム内容であったように思う。 帰りの汽車の中でどんな相手にも通じるような練習を春休みにやろうと反省しながら帰って来た。

四月十二、十三日招待を受けて山口県大嶺市へ遠征。春休みのインターバルダッシュ、うさぎ跳び等の練習効果はこの試合でだそう。”倒れない、一発で倒すんだ”。
対戦相手は山口水産高(全国大会二回戦で大苦戦をする。後述)、大嶺高、出発前から鼻息荒く、気合の入った内容で優勝。本年度初の優勝旗はキャプテン玉江の手にがっちり握られて帰福した。遠征メンバー、門田久人部長、花田宜夫マネージャー以下下記の通り。

1 玉江  2 松尾(善)  3 永野
4 藤原  5 立石  6 白井 7 毛利 8 川岸
9 鹿毛  10 山田  11 松藤  12 松尾(克)
13 三野  14 船越  15 石村
  中西 城戸 岩村 杉野

山口遠征から帰校するや、新入生の勧誘が始まり、高川、大津、横町等有望な新人がぞくぞくと入部、部員も総勢で三十名を越える大世帯となり否が応でも全国制覇の夢をかきたてられ、夢の実現へ練習を積んでいくのである。五月の連休には先輩が多数来られて”もういっちょう”“もう一回やってんやい”とベソをかくくらいいやになったり、腹を立てたりしながら基礎練習をくり返しドンタクどころではなかった。六月に入れば日体大のバックローセンター緒方氏(後電波優勝時の監督)が教育実習に来て、体育の授業よりも放課後の練習の方が記憶に残っているくらい毎日、来る日も来る日も練習をしたものだった。

七月は福高名物、恒例の合宿である。練習、タックル、 組織だったディフェンス、マッチと壮烈を極めた。三井の安武、松重、福丸、高谷諸先輩のお世話により合宿は大牟田の記念グラウンドで行なっていたので、きつくても逃げて帰るわけにいかず長い長い十日間だった。マッチの相手は三井染料、東洋高圧の社会人チーム、それにOBの若手(大学の現役) で二チームもできるくらい多勢見えて、連日、日が暮れるまでそれこそもういっちょう、もういっちょうである。我々部員の方もフロントロー永野がスクラムを組んで頭が倍の大きさになるぐらい腫れあがり、さすがの新シャン(新島コーチ)も練習を休まないと福岡に連れて帰る、といわれたぐらい気合が入っていた。

合宿が終わるといよいよ夢かなえられんとする本シーズンである。 西日本新聞は〝九月の九州ラグビー界展望”という見出しで、福高は、春は北九州勢にいかれたが、いまは完全に復調、チームとしては一番まとまっている。今年はFWが強く非力なバックスもぐんぐん実力をつけていることは確か、と評している。

国体予選の火蓋が切って落とされ、一回戦東福岡に65-0と大勝、二回戦若松を23-5と一蹴したもののコンバートの不成功が目立ち、若松にトライを許すというディフェンスの甘さを反省して北九州鞘ヶ谷競技場へ乗りこんで、準決勝八幡中央と対戦、1トライ許したものの24-5で降し、いよいよ昨年の雪辱をせんと福工と相まみえた。前半松尾(善)が強引に飛びこんでゴールも成り5-0と先行、後半は一進一退をくり返したが3-3の同点、結局8-3で勝った。やった!やった! 新島コーチ、門田部長はまだ予選じゃないかと私達をいましめられた。 そうだ勝って兜の緒をしめよである。

運動会も棒に振り 九月二十七、二十八日の九州大会(国体北九州代表決定戦を兼ねる)で大分舞鶴高へ乗りこむ。 一回戦大分代表玖珠農を46-0と一方的に降したので気がゆるんだのか。あくる代表決定戦(Aパート優勝戦)では、長崎工25-8。

だが、とにかく代表権は把んだのである。 本大会まで二週間、目的を達成せんと調整に励んだ。

国体予選九州大会
メンバー

1 玉江  2 松尾(善)  3 永野(城戸)
4 城戸(立石)  5 藤原  6 白井(立石) 7 毛利
8 川岸  9 中西(鹿毛)  10 山田  11 松藤
12 松尾(克)  13 岩村  14 石村  15 三野

十月十九日富山県立魚津高校グラウンドで一回戦 東海地区代表 西陵商業と、予想ではどちらもA級で好試合必至とある。試合は雨のため泥沼のコンディションで行なわれた。終始西陵陣で試合を進めながらもバックスが球を生かせず得点に結びつかない。ラインアウトから藤原強引に突っこんで先行したが、PGで追いつかれてバーフタイム。後半TBパスを回されてトライを許してから押しまくりながらもボールが手につかず、FWのドリブルラッシュから川岸、松尾、三野とわたり飛びこむも、ドロップアウトとなって試合終了。夢は一回戦でついえたのである。

富山から帰福してからは、国体の雪辱、全国制覇目指し懸命の練習を続け、九州電力と合同練習、マッチ、福大、西南大とのマッチ等で磨きに磨きをかけていたとき思いもかけぬアクシデントがおこった。紅白試合の最中、バックロー川岸がドリブルで割って出たとき、スタンドオフ山田がセービングをした。その交錯した瞬間、川岸の膝の皿の下から白い骨がつき出ていた。複雑骨折である。相浦先生(福中十回OB)がグラウンドに居られて応急処置をして下さって、そのままつきそわれて溝口病院に入院してしまった。メンバーの変更があり、キャプテン玉江をバックローに下げ、二年生の清原をフロントローという布陣をしいた。それから私達は日暮れまでどころか暗くなってもボールにペンキをぬって、何くそ、もういっちょうと川岸の分もと先輩に食い下がっていき優勝するんだと走り、這い、ぶつかり、倒し、これがラグビーか!これでもか!と頑張った。新島先輩がこういう私達の練習を丁寧に、激しく、厳しく、〝ようし! 上がれ” といわれるまで指導して下さった。新シャンはそれに加えて十五人でラグビーをやれと互助の精神、自分に厳しく責任をもてと、また、練習後は仏の新島よろしく私達のよき相談相手にもなっていただいた。

十一月、全国大会予選が始まる。地区予選は推薦で二十二日の県大会から出場、所は平和台競技場、一回戦八幡中央を軽く破って二十三日、準決勝八女工とまみえて22−3と降して残すは決勝戦、一週間後場所も同じ平和台で北九州の雄、常盤高と対した。 前半13―3とリードしたためか、相手が奮気したのか後半は思うようにいかず6-5と苦戦、結局18-8で全国大会行きの切符を手に入れた。入院中の川岸も喜んでくれた。一緒に行けないのが残念だが仕方がない。

思えばバトンを受けて十ヵ月皆頑張った。松尾(善)のフッキング、小柄な身体で突き破っていく当たり、永野の額からいくスクラム、藤原のラインアウト、白井の足技、豪快なプレーのキャプテン玉江、SO山田のラインの牽引、SH鹿毛、松尾(克)、松藤の左サイド、右WTB石村(昨年はFB)、FB 三野等、十一回生は言うに及ばず、二年生で城戸、立石、清原のFW陣、SH中西、CTB岩村等部員一同の大奮闘、先輩諸兄の名指導があってこそ切符を手に入れたのである。また陰になり日向になり試合には勝て、練習は気合入れてやれ、と共に苦労をしてくれたマネージャー花田の存在も忘れることができない。

切符は手に入った。後は西宮へ乗りこんで新チーム発足からの夢を実現させんと最後の仕上げに励んだ。先輩方も仕上げに毎日多数かけつけてくれる。従って練習にも拍車がかかるというわけ。

出発を二、三日後に控えた二十八日、西日本新聞は〝負傷響く福高”と題して、A級に数えられるとみられていた福高は、国体後の練習でバックロー川岸が足を痛め、フロントロー玉江が下がってFW一列が弱くなったし、玉江の動きも….. 玉江の動きとFWが確実にボールを支配すれば、弱体のバックスでも一回戦西綾商は押えることができるが、一、二回戦勝っても準決勝では苦戦しよう、とこう書いている。これを読んだ私達は一層のファイトを燃やしたものである。師走の二十九日駅頭で長校長先生はじめ多数の先生方、一般生徒に見送られ、はやる心をおさえ一路 西宮決戦場へ。

元旦、第三十八回全国高校大会開会式。 胸に決意を秘め、足取も軽く胸晴々と行進した。

一回戦奇しくも国体でぶつかった西陵商業、 今度こそという気持ちでキックオフを待った。試合のテンポは早く快調で、がっぷり四つに組んだのでなかなか先行できない。 前半二四分ようやくPGで先行、ハーフタイム。後半PGをきめられて、一進一退が続く。だんだん残り時間がなくなった二〇分頃、SO山田が西陵TBミスをひっかけ、そのまま飛び込み(ゴール)再度のリードを奪い、次いでタイムアップ寸前、五ヤードのタイトからHB中西が飛びこみ、結局13-3で快勝した。(編集部注 タイト=スクラム、ルース=ラック。昔はスクラムのことをタイトスクラム、ラックのことをルーススクラムと呼んでいた)

一月三日、二回戦春招待試合で対戦した山口水産。 ゲーム内容は西日本新聞から拾うと次のようになる。 福高は捨身のタックルを敢行しての堅いディフェンスを最後までくずさず、数少ないチャンスをつかむという試合運びのうまさで辛勝した。山口はFWの鋭い突進とルースで強味をみせ、福高をおびやかしたが、肝心のところでバックスがミスを重ねたのは痛かった。前半はどちらも得点を生めず後半五分、自陣内二〇ヤード右中間のルースから左へ初めてのきれいなTB攻撃をみせた福高が、左WTB松藤のショートパントを好フォローしていた玉江がダッシュ、よく拾って三〇ヤード独走、ポスト直下にトライしてリードを奪った。その後福高がタイムアップ寸前、山口ゴール前のタイト (山口ボール)で左右バックローの玉江、白井が出足よくとびだして、山口のHBをつぶし、ダメ押しトライをあげたが、最後まで福高を苦しめた山口の闘志はりっぱだった。

次は三回戦、北見北斗と思っていたが二回戦で去った。 今度は水戸農だ。私達は、次は準決勝で多分盛岡工だろうと話し合っていたのだ。そこに落し穴があったのだろう。 五日、今日は楽勝と自分たちで決めその結果が、FWがタイト、ルースとも負け前半三分、PGで先行され、その後は紙上の評を借りれば、七分福高陣一〇ヤードで福高FB三野のキックが逆風に流れてマイナスとなったのをWTBが拾い、CTBに回してトライ8-0と引き離した。このあたり福高FWのパックがあまく、水戸農FWに圧倒された。後半に入って福高押し気味に試合を進めたが3点を返したにとどまり、結局17-3と敗れた。

ついに夢は消えた。夢は夢でしかなかったのだろうか、いや、やるだけやったんだ! 皆の目は赤くうるんでいるが後悔はすまい。我々が歩んだ一年間はきっと後輩に繋がるはずだ。数多くの先輩から学んだ福高ラグビー魂はちゃんと受け継いだんだ。だから今でもユニフォームを着てグラウンドに立てば負ける気は全然しないし、その後十数年歩んで来た道も、 その時学んだことで自信をもって歩いているのである。

全国大会遠征メンバー

監督 新島 清
部長 門田 久人
マネージャー 花田 宜夫(3年)

主将 玉江(3年)
副主将 山田(3年)
部員
清原(2年) 松尾(善) (3年) 永野(3年)
城戸(2年) 藤原(3年) 白井 (3年)
毛利(2年) 中西(2年) 松藤 ( 3年)
松尾(克) (3年) 岩村(2年) 石村(3年)
三野 (3年) 鹿毛 (3年) 立石(2年)
船越 (2年) 高川(1年) 大津 (1年)
横町(1年)

一月十五日、修猷との定期戦、これが最後の試合だ、もうこのメンバーで試合をすることもあるまい。我々が学んだ全てを出し切らねばならない。そういう意味では一番大事な総決算となるべきゲームだ。赤いユニフォームとも別れねばならない時が来たのだ。

平和台競技場、好天気に恵まれ、芝生も春に向かって芽をふきださんばかりの気配さえ感じられ、あたかも私達を送り出す最終試合にふさわしい。舞台装置は揃った。修猷のKOボールは舞う。松尾(善)はノーホイッスル・トライを五本も持っていく。マネージャー花田は、初めてにして最後の試合に一番で出場した。キャプテン玉江はその花田に今までの罪ほろぼしか、トライの醍醐味を教えるためか、インゴールでボールをもったままつっ立って花田を待ちトライをさせるというおまけまでつけて楽勝。有終の美を飾った。

出場メンバー
高校11回生部員
1 花田  2 松尾 (善)  3 永野
4 藤原  5 城戸  6 白井  7 毛利
8 玉江  9 鹿毛  10 山田
11 松藤  12 松尾(克)  13 岩村
14 西村  15 三野

全てが終わった。やるだけやった。十一回生の顔には満足感で笑みが浮かんでいた。 全国制覇の夢は夢で終わったが、その過程で学んだラグビーは人生の縮図のように思える。その後現在まで片時も忘れることはなく、全員立派な社会人としてそれぞれの道を歩いている。

最後に新島先輩はじめ多数の先輩諸兄、門田部長、私達をよくぞここまで、来る日も来る日も御指導いただきありがとうございました。 後輩よ! 福高ラグビーを受けつぎ我々が果たせなかった夢を実現してくれたまえ。簡単にはいくまいが、額に汗し、歯を喰いしばって栄冠を勝ちとって下さい。

高校11回生部員

花田 宜夫 (マネージャー)
玉江 満敏 (CPバックロー)
山田 秀治 (バイスSO)
松尾 善勝(フッカー)
永野 輝義(フロントロー)
藤原 隆(セカンドロー)
白井 俊彦 (バックロー)
川岸 隆一 (バックロー)
鹿毛 謙治 (SH)
松藤 恭武 (WTB)
松尾 克之 (CTB)
三野紀雄 (FB)
石村 政剋 (WTB)
相浦 洋三 (セカンドロー)

  

(昭和49年 福中・福高ラグビー部OB会発行「福中・福高ラグビー50年史 千代原頭の想い出」P.202)

三野紀雄(福中→日体大→福岡県教諭 八代部長 1975年から1990年の15年間 福高ラグビー部を部長・監督として指導 1998年高校日本代表NZ遠征団長)