寄稿 高校17回

若香魚の瞳の輝き

元木賢一

その日は31年前、薫風香る五月のある日の事でした。愛嬌のある人懐こい顔をした当時の幹事長の中山君が私どもの店に来訪し突然こう言いました。「困っております。森さんと豊山さんがコーチをしてくれますので、元木さんは難しいことは考えないでいいから重石になって下さい」と。藪から棒な話であったため、「ちょっと待ってくれ、俺に務まるだろうか?少し考えさせてくれ」と言うと、「頼りにしています」と残し店を後にしました。私は名選手ではありません、むしろ迷選手の部類に入る代物です。伝統ある福高ラグビー部の監督が務まるのか?相応しいのか?夜も眠れないほど考えました。そうこうしているうちに10日ほど経ちました。中山君は「腹、決まりました?」ジーっと目を見ながら「頼みます」と続けました。重隆と豊山が居ると言うことで心強いので、監督と言うより後見人という立場で引き受けようと返事しました。
時に小生45歳になったばかりでした。当時長女18歳、長男が16歳でしたので、急に大勢の子供が出来たような心地でした。突き刺すほどに真っ直ぐな眼差しで向かってくる子供達のエネルギーは若香魚のように力強く、日ごとに上達していく様を見届けることが出来た日々は指導者冥利に尽きる毎日でした。
就任二年目の秋、準決勝では筑紫丘高校と好試合を演じ、後の日本代表ハーフ月田選手を擁する東福岡の待つ決勝戦に駒を進めました。平均体重92kgの東福岡の重量フォワードに対し、福高フォワードは平均77kg、大きな体重差を武器にスクラムやモールで押し込んでくる東福岡の猛攻に苦戦しながらも若香魚達は鋭い魂のタックルで何度もピンチを凌ぎました。6-20で負けはしたものの、福高の何度も低く撃ち込む魂のタックル、堅いディフェンスラインは見事なもので期待以上の善戦、観る者の心を動かす熱い試合を見せてくれた若香魚達を私は誇りに思います。
現在77歳になりましたが、筋肉の貯金ということで毎朝6時から家内と小一時間かけて散歩しております。紆余曲折ありましたが、毎日新しい発見があり、家族にも恵まれ幸せな日々を送れるのは、福高ラグビー部で培った「ダル千」の精神で頑張ったお陰だと思います。末筆ながら福高ラグビー部の益々の発展と皆様のご多幸をお祈り申し上げます。