寄稿 高校20回

カナダ セントジョージズ高校戦の思い出

遠藤和博

今年、福岡高校ラグビー部100周年を迎えて考え深いものがあります。その当時、先輩方は怖い存在、練習はきつい。でも、その中に小さな喜びをみつけ頑張っていました。75歳になる私たちにとっても、とても濃い、濃い3年間でした。

二年生の三月、カナダからセントジョージズ高校のラグビー部が遠征来日しその対戦相手に、その当時の強豪校、保善、天理、高校選抜などと共に九州から福高が選ばれました。唯一つの公立普通校ということで私たちも張り切りました。卒業したての19回の先輩たちとチームを再結成し、新島監督の指導も気合が入っていました。

春休みに予定されていた私たちの修学旅行(京都、奈良)も、当然のように欠席にしました。ただ、同級生が校庭からバスで出発する時は、流石にちょっと淋しさを覚えました。

彼らのプロフィールを見ると180cm代、80kg代がざらで、私たちのFWの平均体重が67㎏ぐらいの時「やっぱり、太そうやね」と感心しました。又、趣味の欄にはボート、スキー、ヨットとか書いてあるし、大学の専攻希望は医学、法律、物理学とかである種のカルチャーショックを受けました。

試合は、快晴の平和台競技場で行なわれ、観客席は在校生などで一杯だったのを覚えています。彼らは、大きかったけど、足が長い分、下に飛び込んだら倒れてくれました。攻防は一進一退で、私が頭から出血をし、あの当時選手の補充がきかず、近くの福岡中央病院で治療を終え白い包帯をぐるぐる巻して再出場する時に、相手からスルスルと走られ逆転トライをされ惜敗しました。               

その当時の日本ラグビー協会会長の香山蕃氏は「両国の十代の若人が、グラウンド内外で直接に交歓の機会を得る点で意義深い。」と書いてありました。それで、その夜は、彼らのホームステイ先に行き拙い英語で、友好を深めました。福高の英語研究部も来ていましたが、彼らの英語より野田さんのジェスチャー入り博多弁交じりの英語の方が良く通じていました。

この様な思い出や、きつい夏の練習、柔道場での合宿、そして花園といろいろ経験させてくれた福高ラグビー部に感謝するとともに

これから先も、福高魂が長く受け継がれていくことを願っています。