寄稿 高校21回

ニイシャン

稲舛積

創部100周年、まことにおめでとうございます。お世話になった先輩方、後を継いだ後輩たち、有難うございます。永遠にボールは繋がっていくでしょう。

今年で75歳、高校時代はすでに半世紀以上も前のことになりましたが、それからずっと福高ラグビー部の経験が心柱となって生きてきました。

博多第二中学校時代はバレーボール部でしたが、真夏の屋外のバレーコートに楕円形のラグビーボールが転がった時に、私の人生も楕円形のように転がり始めました。転がしたのはバレーボール部(ラグビー部)の二つ先輩で木原喜一郎さんです。二中の屋外コートに溜まった打ち水をすすり、続けて福高砂漠のグラウンドに溜まった打ち水をすすることになったのです。

ラグビーは新島大先輩(通称「ニイシャン」と呼ばれた)が毎日のようにマツダの「キャロル」という軽自動車で、ロウギアーのままエンジンを目いっぱい吹かしながらやって来られました。だから現役はエンジン音で「来んしゃった!」とすぐに分かりました。眼光鋭く現役を見つめ緊張感一杯のグラウンドで甲高い声を張り上げながら教えられました。

ニイシャン語録はいっぱいありますが、ラグビー技術ばかりでなくラグビーに対する姿勢や厳しさなどグラウンドに立つ以前の社会人としての生き方にも繋がる話しもたくさんありました。そんな中で、「きつい時に頑張るのがラグビーだ」「己を殺して仁を為せ」が、現在も私の大きな心柱となっています。

40年ほど前につくった「ぎんなんリトルラガーズ」では練習前に「三つの頑張り」を全員で唱和するのですが、「きつい時に頑張るぞ、チームのために頑張るぞ、なんでも頑張るぞ」はニイシャンの言葉から考えたものです。藤浩太郎くんはぎんなん一回生です。

また、博多祇園山笠の追い山櫛田入りでは、棒に付いたり後押ししたりする若手に「きつい時に頑張れえっ」と檄を飛ばしたものです。また、俺が俺がのこの世の中、「己を殺して仁を為せ」を常に心がけているつもりです。

現役時代の一番の思い出は、21回生が三年の全国大会に出場したことです。御多分に漏れず我がチームは軽量フォワードで、第一回戦の相手は重量フォワードの秋田工業でした。私はスクラムハーフで、スクラムを組んでも相手は5人で組んでいるようなもんで、ボールがスクラムに入った途端第三列はスクラムから離れ次の展開に備えるありさまでした。点数は忘れましたが、完敗でした。しかし、2トライを取りました。これは45度というサインプレーで、スタンドオフは敵の第一センターを、第一センターは敵の第二センターをめがけて走り、ウィングにボールが回った時には一人ずれた形になるというものでした。2回やって2回ともトライに繋がりました。22回生のウィング渡辺貫一郎君(博多二中バレー部後輩)が早かったこともありますが、その後優勝した秋田工業からの二トライは忘れられません。