寄稿 高校25回

ラグビーが育んだ友情と信頼

長井政典

 「ラグビーはジェントルマンのスポーツだ」。高校3年の時、われわれ部員数人で新島清監督の自宅を訪れた際に言われた言葉は鮮烈だった。新島監督は自分の戦争体験を語り、捕虜になった時にラガーマンであることを知った敵兵が「自分もラガーマンだ」と語り、紳士的に扱ってくれたという話に感銘を受けた記憶がある。ラグビーというスポーツが友情と信頼で世界中のラガーマンをつないでいるのかと、ラグビーの奥深さを実感したものだ。

 確かにラグビーはほかのスポーツとは違う特別なスポーツだと思うことがある。「ノーサイド」になれば、敵も味方もなくなる一体感がある。大学を卒業後、西日本新聞社に入社し記者になり、警察官、政治家、企業人などさまざまな分野の人たちを取材したが、相手が元ラガーマンの場合はどれだけ親しくさせていただいたかわからない。ラグビーというのはそれだけ特別な力があるように思う。

 さて、われわれ25回の高校時代を振り返ると、何と言っても強烈な印象が残っているのは花園1回戦で対戦した目黒に0-56で完敗した試合だ。目黒は前評判通りに優勝したが、秋の国体で全福岡の主力だったわれわれは決勝戦まで勝ち進み、奈良県代表の天理と対戦、32-13で優勝を果たしていたので、ショックも大きかった。全国大会前に負傷者が続出したのが痛かった。傷心の思いを抱えての卒業となった。3年間は厳しい練習の毎日だったが、練習後の楽しみが学校そばの雑貨店に寄って解放感に浸りながらジュースを飲みお菓子を食べてわいわい語り合うことだった。その光景は今も時々思い起こす。

 25回のメンバーはキャプテン南川洋一郎、副キャプテン豊山京一、喜納浩一、塚本静二、仲村逸夫、吉居俊行、加藤忍、浦崎要一、松井宏樹、長井政典。この中から全国のラグビーファンならだれでも知っているような名選手も誕生した。南川と豊山はそろって早稲田大学に進学し、二人とも在学中から日本代表選手に選ばれ、大活躍をした。当時は大学ラグビー人気が絶頂で、早明戦は国立競技場が満員になっていた。その中で躍動する二人の姿がなんとも誇らしかったのは良い思い出だ。

 卒業後は、「大杯会」と称して毎年のように25回のメンバーで集まり酒を酌み交わしている。ただ浦崎が亡くなってしまったのが残念でならないが、これからもこの会を続けたい。われわれの自慢は現役時代からみんな仲が良いことだ。それぞれとても個性的だが、信頼関係は強い。豊山は今、福中・福高ラグビー部OB・OG会会長と早稲田ラグビー倶楽部会長として重責を担っているが、われわれは少しでも支えたいと思っている。

 福高ラグビー部に入らなかったら、どうなっていただろうと考えることがある。このメンバーとの友情はなかったわけだから、とてもつまらない人生だったかもしれない。ラグビーが育んだ友情は何にも代えがたい。先輩や後輩の皆さんともいろいろお付き合いをさせていただている。とりわけ前日本ラグビーフットボール協会会長の森重隆先輩には新聞社時代、経営者を対象に講演をしてもらったり、ラグビーを愛する企業人の懇親会に参加してラグビーの素晴らしさを伝えていただくなど大変お世話になった。

 元ラガーマンとして新島監督の教えを守れているかどうか自信はないが、教えを頂いた諸先輩の方々への感謝の気持ちを胸に福高ラグビー部OBとしての誇りだけは堅持し、これからも友情と信頼を育んでいきたい。