寄稿 高校30回

現役時代の思い出

西田勝行

久和部長(地学教室 考査前講習 タバコ コーヒー)

三野監督(自転車 酒 グラウンド多々)  準々決勝

夏合宿(九電名島 柔道場 米 朝ラン) 14人(新人戦 緑ジャージ) 花園見学(フェリー 新大阪居酒屋) 東公園  ソフトクリーム  将峰  森菓子  サッカー同好会  日田三隈川ボート  

単語ばかり並べて申し訳ありません。それぞれに想い、思い出がありひとくくりの文章にまとめられせん。また50年近く前のことで記憶も不正確かもしれませんが辿りながらの文章にて失礼します。

1年時は三野監督が新任で赴任されました。部員の入れ替わりが当然のごとくあり夏前に落ち着きました。チームは当時の2年生の複数の退部もあり、夏合宿頃やっと落ち着いた感じでした。練習はただただきつく、いつもくたくたでそれ以外に思い出せません。当時の学生・社会人のOBは豊山会長はじめ全日本級の先輩が多数で、練習相手を頻繁にしていただき、レベルが違いすぎでしたが今考えるととても恵まれていたんだと懐かしく思っています。

2年時、部員数も少なく練習環境も良かったとは言えませんが、身体も慣れ練習後に近隣の食堂や菓子屋でだべって帰れる体力もついてきた覚えがあります。全国大会予選敗退後、世代として花園の経験なく全国大会見学を計画実行しました。門司港から大阪までフェリーで往き花園の雰囲気を感じ新大阪の居酒屋で酒盛りして帰路につき、全国大会出場を1年間の目標としました。

3年時 新人戦は14名しか揃わず未経験者に参加依頼し試合に臨んだものの赤白を着せてもらえなかったことを鮮明に覚えています。夏合宿前には2年生の複数退部があり、我々と残った者、1年生部員で夏合宿を乗り越えました。

前後して、バレー部から2名(栗本・田原)柔道部から1名(中西)復帰した岡部・山本、退部した2年生も合宿後に戻ってやっと体制が整い最後の大会を迎えましたが、3年間通じて全て準々決勝敗退にて終え伝統の灯を消しかけた世代となり申し訳なく感じています。

我々の世代は部員数も少なく、途中退部・入部等の入れ替わりが激しく弱小チームの典型的な構造だったと記憶しています。しかしながら久和部長・三野監督はじめ先輩・後輩 OBたちに支えられ3年間を過ごせたのは感謝に堪えません。スパイクのアルミポイントの減りが早いコンクリートのように固いグラウンドでの練習はハードでしたが、思い返せば楽しいこともたくさん経験できたかなと。良い仲間とともに歩んだ3年間でした。経験が礎となり、鍛錬の賜物で辛い時苦しい時も乗り越え生きてこれたと思っています。 今後、少子化の影響で15名必要なラグビーには厳しい時代が来たとしても伝統の灯を消すことなく存続発展することを祈念致します。