寄稿 高校36回

36回 愉快な仲間たち

山本昇
山田博文

福中・福高ラグビー部100周年おめでとうございます。36回を代表して、山本・山田で当時のことと36回同期のメンバー紹介をいたします。

我々が入学した昭和56年4月は前年に久しぶりに花園に行ったこともあり、入部当時から県内では勝って当たり前、花園に行くのは我々福高ラグビー部だ!と普通に想いながら、初めての楕円球を追っかけていました。

上級生には個性豊かな方々がいて、やや怖めでありながらもフラットな感じで、中学まで所属していた野球部の雰囲気とはずいぶん違っていたことも個人的には印象に残っています。

1、2年時は県内では負け知らず、年末の花園はもちろん九州大会や招待試合で九州各地を皆で遠征したことは良い思い出です。

遠征先での南川監督や三野先生のほろ酔い気分でのダッチ〇〇〇やゼロ戦とBKラインの関係性などの会話は今でも強く印象に残っています。楽しい話題はここまで。

最上級生になった昭和58年2月の新人戦決勝で負けて、春の大会も引き分け、そして花園に向けた県大会決勝での敗戦と試合結果では悔しい事ばかり。

今でも夢に出る。もっとできたかも。もっと練習すべきだった。もっと考えるべきだった。もっと・・・。もっと・・・

後輩たちに遠征の楽しさを伝えられなかったことが今でも悔やまれるのです。現役の皆さんには、ぜひ日々を大切に頑張って頂きたい!

つまらない話が長くなりましたが我々の代も愉快なメンバーがたくさんいてラグビーも学校生活も充実していたことは間違いありません。

ここから先は観察力の鋭い山田にバトンタッチして同期の紹介を行い、36回の寄稿といたします。

(フォワード以下10名)

宮崎:ロックからプロップに、同期で最初に「餃子耳」となった時の衝撃は忘れられない。

鍛治:高倉健ばりの「静かなファイトマン」、怪しげなブランドがお好みの紳士。

谷川:入学後のテストから「逆V3」達成、音信不通だったがTV番組で博士として登場。

豊山:チーム、いや「九州一の体格」を活かし、スクラムだけでなくゴール前の突進はおまかせ。

神田:背中でひっぱるキャプテン、早稲田フランカーとして「雪の早明戦」に立つ。

山田:おもしろネタを「暴露」された被害者多数。

山本:プールの時間に身体中に塗られた「赤チン姿」を見た時の衝撃は忘れられない。

山内:ラグビーボールより「玉突き」の才能を発揮、今ではプロハスラーに。

小園:三苫の海岸で砂まみれになって自主練していた「地を這うセービング」は秀逸。

尾郷:入学時のキャプテンの弟としての宿命を背負って入学、「不動のNO8」。

(バックス以下8名)

中西:経験者としてラグビーセンスを見せつけられたが、同期で最初に「疲労骨折」でギブスとなる。

簗瀬:ラグビーセンスに加えて「男女交際」のセンスも見せつけられる。

堤田:重量級センター、「おもしろネタ」の一番の提供者。

榎本:家が校門のすぐそばということでたまり場に、「合理的思考ラガー」。

高丘:スピードランナー、入学時から「おっちゃん」の愛称。

米満:練習以外でもステップを踏んでいた「快速ウィング」、残念ながら試合で活かせず。

関:どんなにきつい場面でも笑顔をたやさない、チーム一の「癒しキャラ」。

高山:経験者として1年の夏合宿から最後の試合まで全試合で活躍していた「ラスボス」。 以上、18名。途中で断念した4名も加えると1学年で22名のチームを作れるほどでした。