寄稿 高校37回

克己

堺幸高

福高ラグビー部は己の不甲斐なさに打ち勝つ『克己』を学び、七転び八起きの人生の礎を築く場であった。卒業して約40年の月日が流れたが今でも思い出されることはうれしかったり楽しかったことよりも苦しかったり辛かったことのほうが多い。

高校時代は怪我との戦いだった。1年生の冬に前歯を折り6本差し歯にした。2年生の春は左肩を脱臼した。2年生の秋には左足首を複雑骨折した。己の不甲斐なさを悔やみそれをバネにリハビリに励む日々だった。

2年生終わりの修学旅行は志賀高原スキー場だった。あいにく左足は歩行訓練ギブスで覆われておりスキーは叶わなかった。

三野先生から不思議な提案があった。「幸高!ホテル前の雪かきをしよけ!上半身は鍛えられホテルの人にも感謝されるぞ」とスコップを渡された。確かにスキー場で見学していてもつまらないとは思っていたがまさかの雪かきとは!「はあ?みんなが楽しくスキーをしているのに雪かきなんて!」と思いながら汗だくで雪かきをやった。残念ながらホテルの人には感謝されるどころか「この人何したんだろう?酒?たばこ?」と白い目で見られた。なんて理不尽だろうと思った。

3年生の夏合宿で同期の荒木昌夫が頚椎損傷という大怪我をした。辛く悲しい出来事だった。昌夫が救急車で運ばれた夜、三野先生が宿舎に戻られた時酒の匂いがした。「早く寝ないか!ばか者が!」その時は三野先生が許せなかった。月日が流れ自分自身が社会人となり当時の三野先生の年齢に近づくにつれて三野先生がどんなに辛く苦しい経験をされたかを感じるようになった。あの夜は酒を浴びずにはいられなかったのだろう。

社会人となって三野先生と酒を酌み交わし色々な思い出話に花が咲いた。高校時代ぶん殴られたのもいい思い出だ。

「俺はお前たちから色々なことを学ばせてもらったやね」

三野先生の言葉は泣けた。三野先生、本当にありがとうございました。

福高ラグビー部で多くのことを学び、多くの仲間を得ることが出来て本当に感謝している。 最後に、福中福高ラグビー部、創部100周年おめでとうございます。私たちを取り巻く環境は厳しいものになっていますが、次の100年を一歩一歩前進して参りましょう。