寄稿 高校42回

来る日も来る日も

吉村智行

 自分達高校42回生のラグビー部時代の思い出といえば兎跳びであろう。 

来る日も来る日も兎跳び。 

高校2年生の時に元号が平成に変わったとはいえ、やはり指導者も選手も昭和気質。他人より一分一秒でも多く、苦しい練習をした者が勝つ。そう信じているのかいないのか。 

来る日も来る日も兎跳び。 

その頃の世の中はバブル景気の狂乱真っ只中。大人たちは働けば働くほど濡れ手に粟のぼろ儲け。24時間働く気にもなったであろう。 

翻って我々九州男達はといえば 

来る日も来る日も兎跳び。 

 まずはショートダッシュでグラウンド半ばのスタート地点からインゴールまで走り抜ける。その後はインゴールからスタート地点に戻るまで兎跳び。 

足が速かろうが力が強かろうが勇敢であろうがなかろうが、そんなことは一切関係なく、誰もが苦しい兎跳び。 

ようやくスタート地点まで戻り、束の間、肩で息をついたかと思うとすぐに次のショートダッシュの順番が回って来る。ショートダッシュで走るのはきつい。しかしその後の兎跳びはもっときつい。少しでも早く兎跳びを終わらせたくて急いでスタート地点まで戻ってみても、またすぐに次のショートダッシュの順番が回って来る感覚。賽の河原の石積みのような無限。 

来る日も来る日も兎跳び。 

試合前にも兎跳び 。 

福高の試合前のアップは兎跳び。アップの間に一度は息を上げておくどころの話ではない。試合開始のキックオフポジションにセットした時点で既に福高の選手が精魂尽きているのが見て取れるので、対戦相手から訝しまれる。 

来る日も来る日も兎跳び。 

夏合宿も兎跳び。 

一年で一番きつい夏合宿。当然、そこで兎跳びさせられるのは織り込み済。ある意味、我々も慣れたもの。 そんな我々もついに3年生の夏合宿の最終日。練習も試合も全て終わり、後は福岡に帰るだけ。3年間全ての夏合宿がやっと終わった、とほっとしたところで、まさかの今から兎跳びの指示。それまで数え切れないくらい兎跳びをしてきたが、さすがにこれは応えた。我々の醜態を見慣れているはずのマネージャーも泣いている。 

来る日も来る日も兎跳び。 

 さて、私は長々と兎跳びへの愚痴を述べてきたように見えるかもしれないが、全くそうではない。今になってわかるのは、三野先生と牟田口先生の思いである。その思いを象徴しているのが、我々が引退した日に三野先生が言われた言葉。 

「頼むから大学に行ってもラグビーを続けてくれ。お前達は力はあるんだよ」 

つまり、三野先生と牟田口先生は我々を大きく育てようとしてくれたのである。 

あの夏合宿最終日の兎跳びですっかり打ちのめされていた情けない我々。しかしその時の姿からは想像がつかない程度にはその後、健闘しているのではないか。最近、時々そう思えるようになった。 

目の前の目標だけではなく、もっと大きく遠くまで進めるように鍛えてくださった両先生と兎跳びの日々には今更ながら感謝している。 

もう二度と来ない兎跳びの日々。