寄稿 高校46回

歴史を紡ぐという意味

今林大輔

輝かしい歴史に彩られた福中・福高ラグビー部。

我々46回は秋の花園予選で2回戦敗退した。何とも申し訳ない所在無げな気持ちと、福高ラグビー部OBという晴れがましい気持ちの両方で葛藤する15名の想いを代表して100周年寄稿として綴ってみたい。

我々の3年間を一言で表すと
「歴史と伝統が、安定した好成績を保証してくれるならそんなに楽なことはない。」
である。

約30年前。
我々46回生が入部して最初の公式戦、春の九州大会福岡県予選初戦を0-30で敗退した福高ラグビー部。試合翌日のグラウンドでゴールラインに並び校歌斉唱、そして2年生、3年生全員に坊主が告げられた。

「いったい何なんだ。。」

到底受け入れがたい現実。
当時を思い起こせば、名門という言葉にあこがれて入部した我々にはあまりにも過酷な現実。混乱してしまったというのが率直なところであった。

それでも先輩は黙々と練習に取り組む。毎日同じメニューの繰り返し。
それどころか、より細かいところまで求められ、息つく暇もないくらいピリピリした空気が漂う。1年生同士の会話はだんだん減っていき、空気は最悪になっていった。

「大きく変えるべきなのに何で同じことの繰り返しなんだ」

それから3ケ月。福高千代グラウンドに現れたのは元木監督、森、豊山両ヘッドコーチを中心としたOBコーチ陣。あの光景を忘れることは一生ないだろう。

たしかに良く練習した。でも始めから全員が積極的で、諦めてなかったかといえばそうでもなかったと記憶している。部員40名弱のうち数名が負けず嫌いの気迫、エネルギーで部全体をけん引していた。

疑心暗鬼。永く暗いトンネルを進み続ける。

実際、初めはごくわずかな変化だったかもしれない。前に進むという慣性に従っていただけのその他大勢が徐々に自分の意思で走り出す。勢いがついてしまえば何でもできそうな気持になる。そのわずか数か月後、秋の花園予選でシード校福岡工業(その年の福岡県大会決勝にすすむことになる)と激闘を演じるまでチームは成長した。終了間際に逆転されなければあわやという感覚。さらに2年生中心のチームに翌年への期待が高まる。
まったくの初心者で入部した自分も何だか上手くなった気分になるのだから不思議である。

翌年は順当に勝ち進むかと思われたが、新人戦で躓き、春の九州大会も不調。
秋の花園予選ではキャプテン畑井さんが鎖骨骨折で離脱。
(相手はのちの日本代表キャプテンを長く務める箕内拓郎)
まさに大ピンチ。このままでは終われない。この意思を非常に強く感じた1年の集大成。
チームに危機感はあったが、畑井さんの無念を晴らしたい思いと花園で復帰してもらいたい一心で勢いはむしろ増していった。春の九州大会を30-0で敗退した福高はわずか1年半足らずで福岡県大会の決勝へ勝ち進み、東福岡と相まみえるまで奇跡的な成長を遂げたのであった。

翌3年次
新人戦で筑紫高校に完敗。春休みの広島遠征でけが人続出。春の新人戦で油断しまさかの敗退。ここから這い上がることができなかった。数人の負けず嫌いに我々3年生の気持ちがついていけなかった。自分が情けなかった。

あれから30年。今も毎年集まり、家族ぐるみの付き合いは続いている。3年で結果は出せなかったけれど、社会人として日本中で活躍する同級生。あの時から抱える割り切れない想いが我々の成長を後押ししてくれているような気がしてならない。 現役の皆さん
自分の思うまま、3年間を楽しんでください。自分にも周りにも感謝できる日はきっと訪れます。その日が伝統という輝きをもって人生に彩を添えてくれることを願って寄稿を締めたいと思います。