寄稿 高校47回

3年間での学び

末信雄二

1992年4月、我々の代は期待と不安を胸に伝統ある福高ラグビー部に入部した。僅かな経験者のみで、大半の者はルールも知らない初心者ばかりの集団であった。偉大な先輩方の背中に追いつこうと必死に練習に励んだ入部当初であったが、我々の至らない練習態度のために、7月7日、遂に「ダルセン」の洗礼を受けることになったことはいまだによく覚えている。(同期の中で集まるたびに「七夕ダルセン」と呼んでいる)1年生の間は無我夢中であったが、夏合宿を経て、予選直前の試合で怪我をされた主将の畑井さんを花園に連れていこうとチームが一体となり、決勝で東福岡高校をあと一歩のところまで追いつめるまでの軌跡は、1年生ながら震えが止まらなかった。

私自身について言えば、2年生の9月に右膝前十字靭帯を断裂し、完全復帰できないまま、引退を迎えることになってしまった。非常に悔しい思いをした一方、その間、復帰に向け、リハビリ・筋トレに励み、試合に出られない選手の気持ちや一生懸命サポートしてくれていたマネージャーの姿と対峙することができた。物事を成し遂げるためには表舞台に立つ人間だけではなく、多くの支えがあってこそのこと、「One for All, All for One」を体現することができたことは、その後の人生を考えても非常に良い経験になったように思う。

3年生の、最後の試合に至るまでの3ヶ月は、同期の成長・躍動にめざましいものがあった。多くのポジションにおいて後輩の後塵を拝していたように思うが、最終学年として躍起し、最終的には、怪我人を除き全員がメンバー入りできたことは自分のことのように嬉しかった。2回戦で筑紫丘高校に敗退し、引退を迎えることになってしまったが、中川原先生より「これまで指導してきた中で、最後の3ヶ月については君たちの代が1番成長した」と声をかけていただいた際には、3年間この仲間と一緒にラグビーを続けて本当に良かったと思ったものだ。 現在、私は関西福中・福高同窓会の活動に関わらせていただいている。2010年、28年振りに福高ラグビー部が花園の地で躍動してくれた時には、心の底から熱い思いが込み上げてきたことを今でもはっきりと覚えている。再びあの歓喜を味わい、花園で現役の皆さんを迎え入れる日が、そう遠くない日に訪れることを信じてやまない。