寄稿 高校48回

創部100周年に思うこと

原雅宜

福高ラグビー部創部100周年にあたり、今から約30年前、私が福高ラグビー部の部員であった短い3年間を思い出しながら、今後も永遠に続く福高ラグビー部の歴史の1ページとして、その思い出と今考えることをここに記したい。

私たち48回生が入学したのが平成5(1993)年4月。当時は第2体育館と呼ばれていた建物が取り壊され、(後に今のコモンホールや職員室が入った東館が建てられる)グラウンドは工事の塀が立ち並んでいた。職員室が今の中庭にあった時代だ。

私は父がラグビー部ではないが、福高出身であったため、幼少の頃から福高そして福高と言えばラグビーという言葉が自然に刷り込まれていたのではないかと考えている。(今、自分の息子にも刷り込んでいるところである。)

中学3年の秋、テレビをつけたら福高対東福岡の全国高校ラグビー大会福岡県大会の決勝戦があっていて、赤のジャージがグリーンのジャージに何度も突き刺さるその光景に衝撃を受けた。バックスタンドは全校応援で、自分も福高でラグビーをして、こんな場所でプレーしたいと憧れた。その影響もあってか、私たち48回生は1年生の4月には20人以上の新入部員が集まり、最終的には選手20人とマネージャー3人となったものの、3年の時には全部員が50人以上いるという今考えるととてもありがたい時代であった。

1年生では本当に2つ上なのかという風格の大人びた3年生と出会い、その中でもキャプテンの森正俊さんはものすごいオーラがあり、簡単に口をきくこともできなかった。そして、その先輩たちが恐れる中川原先生はさらに恐ろしい存在に見え、先輩にも先生にもただただ恐怖を感じていた。しかし、その中川原先生を「中川原」と呼び捨てにするOBの方たちを見て、誰が一番偉いのか、何なんだこの部活はと不思議に思った。

練習には平日にもかかわらずいろんなOBの方が来られて、我々を指導してくださった。どうしてこんなに日替わりでいろんな大人がやってくるのか不思議だった。それは卒業して何年経っても福高ラグビー部が好きな人が多いからだったということを私もOBになってから理解することができた。

あとはとにかく切らすことなく声を出し続けた。「ダルセン」という恐怖を抱えながらの練習の毎日だった気がする。そんな毎日だったが、不思議と辞めたいとは1度も思わなかった。ラグビーはとにかくきつくて、楽しいと思うことはあまりなかったが、学校でラグビー部の仲間と過ごす時間が何より楽しかった。

2年の秋、1つ上の3年生が引退した後、監督が元木さんから森重隆さんに変わり、その4月から顧問が中川原先生から藤先生に変わった。私は主将となった。1年、2年と県大会にも勝ち上がれなかった私たちであったが、私は絶対全国大会に行くと自信満々であった。しかし、最後の全国大会予選はリザーブで終わった。福高ラグビー部を卒業した多くの人は高校ラグビー部の思い出は輝かしいものだろうと思うが、主将であった3年生の時の自分自身は怪我に悩まされたこともあり、今も思い出したくないくらい情けなく、そして不甲斐ない気持ちでいっぱいのまま引退した。もし、今の自分がその時の自分を指導できる立場であるなら、その時の自分に何回もダルセンしているだろう。そんな思いのまま高校ラグビーを終えてもらいたくない、そして福高をもっと強くしたいと思い、私は保健体育の教員となり、高校ラグビーの指導者となった。その時は教育者になりたかったわけではなく、ラグビーの指導者になりたかった。そして今、縁あって創部100周年という節目を迎えた母校のラグビー部の監督になっている。

100年続く福高ラグビー部の監督は代々すごい人物ばかりで、その中の1人に自分が入るなんて今でも信じ難い。しかし、どういう巡り合わせか今この立場で母校のラグビー部に携われることはとてもありがたく幸せなことだと感じている。私が現役の時に元木さんや森重隆さん、豊山さんやたくさんのOBから教わったこと(小手先ではなく気持ちが入ったプレーをしているかどうか、仲間やチームのために体を張っているかどうか等々)、そして受けたあたたかい愛情、それを今の現役選手たちにも伝えたい。

日々選手たちと学校生活を送る中で、昔と今ではラグビーの指導方法や内容はもちろん、生徒指導に至る様々なことが大きく変わっている。しかし変わらないものもある。ラグビー初心者で入部し、体も細く本当に3年間ラグビーを続けることができるかどうかわからないような選手が、2年後には相手に突き刺さる福高のタックルを体現できるようなたくましい成長を見せたり、現役時代はラグビーしかやってなくて全く勉強できなかった者が1年間浪人して、見事希望の大学に合格したりすることである。そして福高ラグビー部の3年間でたくさんの経験をした選手たちが見違えるように成長し、立派な大人になり、頼れるリーダーになっていく。これこそが100年続く福高ラグビー部の真髄ではないかと感じている。

これからも福高ラグビー部が101年、102年・・・と永遠に続いていくために、今の私にできることはこの100年続く福高ラグビー部のOB・OGの皆さんが共通して経験してきた福高ラグビー部のすばらしさ、あたたかさを後輩たちに伝えていくことであり、一生の財産となるラグビー部の仲間との繋がりを創っていくことであると考える。 最後に、今の私があるのも今の私がここにいるのもすべて、私の現役時代、大学卒業したてで非常勤講師として指導していた時代、福岡高校の教師としてラグビー部に携わらせてもらっている今に至るまでに私を支えてくださったたくさんのOBの方々、ラグビー部の仲間や先輩・後輩の皆さん、教え子やその保護者の皆様のおかげです。この場を借りて深く感謝申し上げます。皆さんに恩返しができるようこれからも福高ラグビー部の発展に尽力して参ります。本当にありがとうございました。