低い姿勢
八木力也
1996年5月、春の九州大会予選県大会1回戦、相手は当時“史上最強”と称された東福岡。両プロップは高校ジャパンで身長180㌢、体重100㌔を超える強力フォワード。対する福高フロントローは平均体重70㌔台、高校からラグビーを始めた3人の猛者。体格や経験の差は歴然としていたが、幾度も繰り返されたスクラムで押し負けることはなかった。試合は後半、スクラムが崩れてレフリーのフエが鳴った。そして、「福高スクラム低すぎる!高く組んで!!」のコール…。
安定したセットプレーを武器に闘ってきた我々は、勝負の生命線を奪われることとなった。しかし、これは福高の低いスクラムに対する賛辞でもあった。
超軽量級だが、低い姿勢が持ち味のフロントローを中心としたスクラム。大型で重たい48回の先輩方と日々スクラムを組み、こてんぱんにやられながらもその強さと技術を磨いてきた。
フロントロー3人が藤浩太郎先輩と額をぶつけ合い、鈍い音を響かせてから整列することが試合前の風景だった。
そうやって3年間、鍛錬を積んできたスクラムが、その冬の花園でベスト4に入ることとなる東福岡に一矢報いた瞬間だった。
振り返ってみると、福高ラグビー部に入部してからすぐ、体が小さかった我々が多くの時間を割いて取り組んだのがタックルとスクラムの基礎となる姿勢であった。顔を上げて、背筋を伸ばし、お尻を突き出し、膝は地面すれすれをキープ。ラグビーボールを持って、グラウンドを走り回るよりも先に徹底して叩き込まれた。この姿勢にこだわり続けてきた結果、「福高=タックル」に加えて、小さくても低くて強いスクラムが最大の武器となった。
1996年11月、花園予選県大会準決勝。相手は筑紫。そのスクラムで優位に立つことができず、バックスのアタックは封じられ敗戦。高校ラグビーのノーサイドを迎えた。試合後、このメンバーでラグビーができなくなる寂しさと負けた悔しさは当然あったが、自分たちの持てる力を出し切った充実感と体が小さいながらもベスト4まで勝ち抜いたという自信を手にすることができた。
あれから30年、福高ラグビー部で培った姿勢と自信は我々の体と心に刻まれている。グラウンドの片隅で黙々と姿勢に取り組んで得たものが、高校時代の低いスクラムだけではなく、大人になった今でも人生の支えとなっている。