寄稿 高校51回

福高ラグビー永遠なれ

八尋譲

ぎんなんリトルラガーズでラグビーを始め、同チームの一期生、現OB会幹事長、藤浩太郎先輩に憧れ、福高を目指した。
今、身に染みて感じるのは、この2つのチームに所属できた事が、今の自分の根幹の大きな部分を作っているという事だ。

数えきれないくらい自分の中での印象深い出来事があったけれど、特に忘れられない事をいくつか挙げてみようと思う。

1年時、準決勝、筑紫との闘い、矢の様にタックルに行く先輩方に目が釘付けになった。結果は敗戦だった。悔しくて泣いていたら同期の西村が「次は俺らがやらないかんっちゃろうが、泣くな!」と言った事。

2年時、ある日の練習、郷原キャプテンが少しフラついたのを自分だけ気づき、どうかしましたかと尋ねると、「実は40度熱がある」休んで下さいと自分が言うと、
「シメシがつかん、いいや?誰にも言うなよ。」とおっしゃった事。

郷原キャプテンに個人ダルセンをさせて頂いた事。

夏合宿での試合後、タックルが甘かったと現OB会長、豊山FWコーチに1時間生タックルを御指導頂き、涙か汗か分からなくなった事。

ニュージーランド遠征時の試合、相手はクライストチャーチNo.1の高校。ロムーを彷彿とさせるような大型のセンターのクロスに何度も弾き飛ばされ、No.8とダブルタックルを試みるも2人とも弾き飛ばされ、恐らく100点目ぐらいが入った辺り、ゴールポスト下で諦め、声も出さずうなだれていると、森重隆監督がゆっくりと近寄って来られ、「きさん!キャプテンやろうが!なんばアキラメとうとかコラ!」と超特大の雷を落とされた事。

藤先生はいつも優しかったが、新入生の勧誘を激しくやりすぎて、他の部の先生に怒られた時、「いいかげんにしとかな」と優しく怒られた。ヒガシとの練習試合のハーフタイム、大差がついておりシーンとなっていた。「キャプテンが率先せな!」と激しく怒られた。この2回だけ怒られた事。

最後の花園予選、試合前の1週間は後輩達が気にならない程の小石も拾い、驚く程綺麗なグランドを作ってくれた。試合の前日の土曜日、
「月曜日、絶対このグランドで同じメンバーでまた練習するぞ!」という自分にみんな涙を流して反応してくれた事。

最後の試合、僅差で追うハーフタイム、次期キャプテンとなる藤賢二郎が「まだ一緒にラグビーしたい、負けないでくれ」と泣いた。
「なん泣きようとや、まだ負けとらんめーが」と返した。
しかし結果は敗戦だった。色々な思いがグルグル回る中、自分はダメなキャプテンだったなというのが試合直後に一番大きく思った事だった。やがて豊山コーチが皆を集め、最初の一言が「みんな、譲は素晴らしいキャプテンやったな。そう思わんや?」そこまで聞いたら涙腺が崩壊して後は何を言われたか覚えて無い事。

上記の出来事はそれぞれ鮮明に憶えている。それにはどれも「感動」と「気付き」があったし、今に至るまで教訓となっている。
心が弱く駄目な自分をこんなにも奮い立たせてくれる物が他にあるだろうか。
携わってくれた全ての方々、先輩方、同期のみんな、今に至るまでの全ての後輩に本当に深く感謝をしている。
このような1人1人のドラマがあり、その思いを繋いで来て百年分の感謝がある。
千年、万年の感謝も必ずあるだろう。

福高ラグビーよ永遠なれ!