感謝
松尾順平
私が福高ラグビー部の門を叩いたのはちょっとした偶然がきっかけです。中学校卒業までに経験のあったスポーツが卓球とラグビーだけだったので、勧誘の時期に「先に勧誘された方に入ろう」と思っていたら、勧誘解禁初日校舎から出て数歩のところでラグビー部の勧誘に遭ったというわけです。つまり、門を叩いたというよりは「門中に引き込まれた」というのが正確なのですが、この出会いが無かったら私の人生は大きく違うものになっていて、それは今享受しているものよりもずっと価値の低いものになっていただろうと思います。
先に述べた「ラグビーの経験」というのは、小学校低学年のときにほんの少しだけチームに所属していただけなので「経験した」というのは正直おこがましいです。しかも、その時はチームにもラグビーというスポーツにも馴染めずに途中で辞めたのでなおさらです。ついでに父親も私のラグビー部への入部には反対していました。単純に「大変だし。お前には合わない。」という理由からです。それは私自身分かっていたことで、ラグビー部に入ってから引退するまで一度も「自分はラグビーに向いている」と思ったことはありません。ではなぜラグビー部に入ったかというと、1つは「自分自身を鍛えたかった。」という思いがあったからです。中学校で卓球をしていましたが、そこで自分自身を鍛えたという実感は得られず、高校では身体面と精神面を鍛えたいとずっと思っていました。もう1つは「ラグビーというスポーツにもう一度挑戦してみたかった。」という思いもあったからです。途中で逃げ出したことへの後ろめたさもあったのかもしれません。とにかく私はラグビー部に入り、覚悟していたよりも数倍過酷な日々を送ることになりました。
入部してしばらくは基礎練習と体力づくり、どちらも平均以下の私にとっては非常にきつい毎日でした。特に夏休みに入るまでは、平日自宅での過ごし方について「帰宅→仮眠→食事→仮眠→入浴+ヘッドキャップ洗濯(当時の1年生の仕事)→睡眠→起床→登校」この記憶しかありません。休日の練習後も似たようなものです。体重は2か月で73kgから65kgまで落ちました。あの時期に唯一嬉しいと思えたのは、生まれて15年間キープしていたぽっちゃり体型から初めて卒業できたことです。非常にコスパの悪い買い物だったと思います。
この調子で思い出を綴っていくと、軽く1万字は超えそうなのでここからは端折っていきます。現役時代の思い出を一言でまとめると「感謝」です。私は先述したように肉体的にも精神的にも強いとは言えない選手であり、ケガや病気で前線を離れることも多々ありました。試合でトライを決めたこともなく、プレー面でチームに貢献できた記憶もありません。そんな私でも、部長(顧問)の藤先生や先輩方、同期の仲間たちは私を見捨てず、鍛え、励ましてくれました。自分のことを大切にしてくれる人たちの存在が、あって当たり前ではない「有難い」存在であるということを当時の自分も分かっているつもりではありましたが、42歳になった今の方がより強く感じます。
現在私は福岡市内で中学校の教員として働いており、部活動の指導もしています。教えることや支えることは、本当に大変なことだと痛感しながら日々を過ごしています。しかし、大変だからこそやる意味があるのだと、それをしてくれる人たちがいたからこそ今の自分があるのだと思い、この仕事に誇りをもって臨んでいます。ちなみに、私は毎週「スクラム」というタイトルの通信を出しています。それは学級通信だったり進路だよりだったり学年通信だったりですが、タイトルは一つ覚えの「スクラム」です。なぜなら、藤先生に教わった「スクラムで相手に勝つには互いを引き寄せあい、同じタイミングで同じ方向に向けて、全員が全力で進もうとするということが大切だ。」ということが、学級や学年に求める姿とぴったり重なるからです。こういう考え方や価値観をもつことができたのも、福高ラグビー部でラグビーというスポーツに取り組んだ経験があったからだと思います。この場を借りて、改めて福高ラグビー部とラグビーというスポーツに感謝の気持ちを伝えます。ありがとうございます。