寄稿 高校60回

中川組

私が今回タイトルを「中川組」にしたのは、中川がキャプテンでなければ私たちは一つのチームになれていなかったからだ。

私たちの代のメンバーはとにかく全員我が強く、とてもチームスポーツには向いていない人間で構成されていた。わがまま、自由奔放、ずっと反抗期のようなメンバーをまとめた中川は実はすごかったのかも、と引退して気づいた。

中川がどういう人間かを表すエピソードとして1年生の時の夏阿蘇合宿での出来事がある。朝起きたとき、3年生の先輩の肩が外れてしまい1年の中川が急いで牟田口先生を呼びに向かう。早く先輩を助けないと!その一心の中川。一緒に先輩の部屋に向かうためついて来てくださっているあの牟田口先生に一言

・・・「もっと早く走れないんですか?」・・・

恐らくこの瞬間から私たちの代のキャプテンは中川に決まっていたのかもしれない。それほど中川という男は前しか見えない熱い漢であった。

前段はここまで。

ラグビー漬けの生活、最後の1年。

私たちは個人的な能力だけを見るとなかなかの素質はあった代だと思う。ただ、チームとして戦いきれないためどんな相手にも苦戦をするようなチームでもあった。しかし一方ですべてが噛み合えば当時なかなか評判の高かった御所実業に完勝できるようなチームでもあったため、今思うと首脳陣の方々からしてみたら非常に難しいチームだったと思う。

そこから少しずつだが私たちが目指していたハイパント戦法が浸透していき、チームとして一つにまとまってきた中で最後の大会を迎えた。

しかし準々決勝の福岡工業戦、事件が起きた。

試合開始キックオフのボールを中川がキャッチ→相手がタックル→中川骨折

中川は開始5秒で退場するというなかなかの離れ業をやってのけたのだ。

ここでそんな笑いはいらない。さすがのメンバーも動揺した。黙っていればかっこいいあの中靏でさえ、キックカウンターで相手3人に囲まれている中1人で突っ込むほど周りが見えなくなっていた。気がつけば0対17のリードを許していた。

しかしそこから、電車内で突然胸ぐらを掴んでくる阿川副キャプテンが必死にまとめなおし、ごはんの食べ方がまるで犬のような伊藤が力業のトライを決め、反撃ムードで前半終了。

ハーフタイム。森監督からの激も飛ぶ。少し冷静になったメンバーは皆思った。

「中川が戻ってくるまで勝ち続けよう!」

後半、反撃開始。終わってみれば51対17で勝利。

チームが初めて本当に一つの思いでまとまった瞬間だったと思う。

準決勝で筑紫に敗れ中川との約束は果たせなかったが、試合後メンバー全員が中川と抱き合い、中川組の終戦となった。

こうして振り返ってみると福高ラグビー部での3年間はとにかく濃密だった。とにかくきつかった。とにかく楽しかった。

森監督、牟田口先生をはじめ支えてくれたすべての方々、そして選手11名、マネージャー3名の計14名の60回生のメンバー

青春を全うさせてくれてありがとう!

最後に・・・

今回の寄稿文作成にあたり、こんなにも伝統あるラグビー部に在籍していたということを改めて再認識させていただきました。

創部100周年を取り纏めてくださっている方々に深く感謝を申し上げます。

伝統の赤白ジャージーが花園で暴れまわる日を楽しみに、今後も陰ながら応援させていただきたいと思います。福高ラグビー部に栄光あれ!

60回生  西妻 大志