寄稿 高校61回

折々に

松島佑太

高校61回生はプレーヤー14名、マネージャー3名の計17名。ラグビー経験者と未経験者が約半数ずつという構成の中で、私は中学までは野球をしていた全くのラグビー素人組。花園という言葉をかろうじて知っている程度した。

不思議なもので、同じタイミングで入部した初心者達の中でも、タックルが強い、パスがうまいなど、早々にセンスを見せつける人間がいる一方で、私は不得手な方だったと思います。基礎練習を繰り返しては、あれが駄目、ここが良くないと指導を受け、コンタクトに対する恐怖心も拭えず、漠然とした劣等感を抱いていた記憶もあります。

振り返ると私の中での転機は、一年生時の夏合宿でした。阿蘇の大自然に囲まれた早朝の仏舎利ランから始まり、日暮れまで試合や練習を行うラグビー漬けの環境下において、森監督や牟田口先生達から再三のように「しんどいときこそ体を張れ」と檄が飛ぶ中、ふと自身の中で何かが吹っ切れた感覚になったことを覚えています。合宿後半のBチームの練習試合でキックオフからのボールをキャッチした私は、いつもであれば迷いや恐怖心で消極的な動きになっていましたが、「難しいことは考えずに思いっきり体を当ててみよう」と相手ディフェンスへ飛び込み、僅か1m-2m程度ながらゲインすることができました。がむしゃらにやってみると存外それらしいプレーとなり、チームメイトからは「ナイス!」という声を掛けられ、何となくラグビーの面白さに気づけたように思います。もっと活躍してみたい、経験者にも負けないように頑張ろうと思えたきっかけでした。

印象的な出来事がもう一つありました。先述の試合で私は人生初の鼻血を出したのですが、同じ試合に出場していた先輩から「すぐに隠せ!」と言われ、即座にジャージの袖で鼻血を拭き取りました。その場では理解が追い付かなかったのですが、出血交代をレフリーに命じられる前に対処させたのだと暫くしてから気づきました。勝ちたい、活躍したい、仲間を助けたい、色んな想いがあるのでしょうが、”ちょっとやそっとでは退場しないぞ”という福高ラグビー部の魂が先輩達には宿っているのだと、格好よく、感動したことを覚えています。

きっと私以外の同期も類似の体験に触れ、己の価値観を刺激され、経験者も未経験者も化学反応しながら、61回生は松下彰吾主将を中心に結束した代として成長していったのだと思います。他にも、最後まで準決勝止まりでその先の壁を破れず悔し涙を流したこと、森監督邸でのバーベキューが無性に美味しかったことなど、様々な思い出がありますが、寄稿にあたって一番に思い出されたのは、まだ一年生時の出来事でした。それだけ、自分にとって福高ラグビー部は入った瞬間から人生に大きく影響したのだと思います。競い合う厳しさや支えてくれる方々への感謝といった面のみならず、怒られたときは瞬時に真っすぐな目で謝罪する(そうすれば許して貰えることもある?)、スピーチは聴衆を抱腹絶倒させるものである(と言いながら文才がなくすみません)、など、人情味あふれる教訓も沢山得られたなと、今回改めて実感した次第です。 末筆ながら100周年事業を取り纏めてくださる方々への感謝とともに、創部100周年を迎える福高ラグビー部関係者の皆様へ祝福申し上げます。九州のラグビー部として初めて迎える100周年、誠におめでとうございます!