寄稿 高校63回

ラグビーが私に教えてくれたこと

兼久賢章

第63回生の兼久賢章と申します。第63回生というと28年ぶりの花園出場の世代であり,同期に福岡堅樹がいる中で誠に僭越ながら私の方からこの素晴らしいチームで過ごした日々を振り返り、感慨深い思い出を共有させていただきます。ラグビーが私に与えてくれたことはあまりに多くここに全てを書くことは叶いませんが,思い出とともに”活躍のあり方”,”強さ”についての学びも交えて書き綴りたいと思います。このような貴重な機会を託してくれたキャプテンの松下真七郎くんをはじめ,100周年を取り纏めてくださっている方々に深く感謝申し上げます。

私は高校からラグビーを始めた初心者組でした。初心者はウイングから入るのがお決まりですが,足は遅いしハンドリングは悪いしで苦い思い出です。中学時代はバスケ部で,その絶望的なハンドリングで活躍出来なかったことも頭をめぐっていました。同期には福岡堅樹君がいて同じ1年生でありながら華々しい活躍です。次元が違う,ここに活躍の場はないと思い夏には陸上部に移ろうとサボるようになりました。当時は世界陸上のウサイン・ボルトに世界が沸き,長距離ランが得意だった私はそっちに活躍の場があると思ったというのがきっかけでした。誰にも相談せず勝手に決めていたので,今更ラグビー部に戻ることも居心地悪いと思っていたそんな折に,松下君と谷山君が“とりあえず一回部活に来い”ということで,保護者同伴のような形で部活に連行しました。これが人生を大きく変えた瞬間だったと思うと,二人には感謝しかないです。その後は特に足も速くなれず,ハンドリングも良くなれずでしたが,不思議と試合に出してもらえるようになりました。長く走ることが得意だったことに加えて,恐怖心という感情が欠落していたおかげで頭からタックルしていくウイングの姿が面白かったんだと思います(半分冗談ですが)。とにかく,福岡君のような雷のような走りと華麗なトライは取れない私でしたが,自分のできることを泥臭くやれば,どこでも活躍の場は必ずどこかにあるという自信を手にしました。そして,他者ではなく自分自身と向き合うことの大切さを教えてもらいました。

もう一つの触れたい思い出は花園のことです。“花園行きの新幹線に吉塚駅から乗ろうとして博多駅に現れなかった“という伝説を残してしまったのは私なんですが,これが最も印象に残った思い出です(嘘です)。地方トーナメント決勝の筑紫戦から,花園第一試合本郷高校でのラストワンプレー逆転認定トライ,第二試合の朝鮮高校までドラマだらけですが,印象深い思い出を一つ選ぶとすれば,朝鮮高校に敗れたあとの松下君と森監督の掛け合いです。松下君は鎖骨とあごの骨を花園一か月前に骨折して,未完治な状態で出場していたと記憶しています。そんな彼に対して森監督が,”痛かったろう”と涙ながらに声をかけ,”痛かったです”と松下君が返すという,言葉にするとこれだけなんですが,私にはとても印象に残る場面でした。痛みや憂いを感じさせない彼の姿には,キャプテンとしての強さがあったことは間違いないと思います。私は何かと理由をつけて適当にやり過ごしたり,ずる賢くやろうとすることもあって,その姿が今でも強く記憶に刻まれたんだと思います。人には色々な強さがあると思いますが,改めて自分の強さ・弱さというものが何なのかを自分に問いかけてみてはいかがでしょうか。

創部100周年という節目に,現役時代の思い出を述べさせていただきました。私は今,製薬企業の研究職として働いています。仕事の専門性は多様化し,一つの仕事は一人でやりきれないことの方が圧倒的に多いです。だからこそ,自分の得意不得意が何なのかと向き合いながら,自分ができることを最後までやり遂げる精神的な強さが必要不可欠と実感しています。そんな福岡高校ラグビー部を通じて私が得た価値観、思い出とその成長を少しでも誰かに手渡すことができれば、これ以上の幸せはありません。最後になりますが,過去の栄光と未来への希望を胸に福岡高校ラグビー部創部100周年を祝福いたします。