寄稿 高校65回

私は何しに福高へ?

髙井勇貴

この度は福中・福高ラグビー部100周年おめでとうございます。
まもなく1世紀を迎えようとするチームの一員となることができ、心から嬉しく思います。

私には東福岡を倒して花園へ行きたいという目標がありました。

小学生からラグビーに触れていた私は、いつか花園常連校を打ち負かせば学校のヒーローになれるのではないか、東福岡高校ラグビー部出身の親父を超えてやりたい、といった邪な思いを抱いておりました。
中学生になり進路を決める際、どこで見たか思い出せませんが15人全員が物怖じせず低くて鋭い突き刺さるタックルを連発していた試合を見て、福高ラグビー部への入部を決断しました。

幸運なことに1年次から試合に出させていただき福岡県大会予選を勝ち進め、花園の地でプレーすることが叶いました。

しかし2年次には東福岡との試合でコテンパンにやられ現時点での力の差を痛切に感じました。

そして迎えた最終学年。どうしたらこのチームで東福岡を倒して花園に行けるか、毎日のようにラグビーのことだけを考え、仲間と話し合い練習に明け暮れました。おかげさまでバカ補習の皆勤賞をとることとなりますが、ここで私の人生の中でも思い出深い出来事が起こります。

それは九州大会予選で東福岡との引き分けです。
試合中あまりの衝撃にラグビー好きなマネージャーが過呼吸になってしまったり、森監督や牟田口先生が勝った後のインタビューのことを考えていたり(?)。
結果として抽選負けとなってしまいましたが、秋には必ず勝てると自信に繋がりました。

花園予選準決勝の相手は筑紫。
必ず勝って決勝に行く自信があったので千代原頭は歌わずに試合に臨みました。

結果は惨敗。
花園への道が潰えたこと、千代原頭を歌わずに引退したこと、何より東福岡に勝てなかったことは悔やんでも悔やみきれません。

しかし1つの目標に向かって我武者羅になった経験は、自分にとって何よりも宝となっています。
あの時の仲間とは今でも頻繁に集まり、同じ思い出話を何度も何度も語り合っています。
仲間のためにお互い身体を張り合ったあの時間は、友情を超えた強い絆に繋がりました。

伝統と誇りのある福高ラグビー部が作り続ける伝説を、この先も楽しみに見守っています。