寄稿 高校73回

全員ラグビー

小林弦英

73回の主将を務めさせていただきました。小林弦英です。100周年記念企画の寄稿に携わる貴重な機会をいただき、大変光栄に思います。

自分達の代では、新人戦が終わってすぐ新型コロナウイルスが流行して休校となり、部活動ができない期間が続きました。当初は短期間の活動禁止予定でしたが期間が長引いてしまい、個人としてもチームとしても厳しい時が続きました。その期間において、主将である自分にできることは何だろうと常に考えて、原先生と何度も話し合いをしました。そこで各地域ごとにメンバーを振り分けて複数人でトレーニングを行い、報告として毎日数人その日の自分日記をグループに送ってもらうことにしました。その取り組みを行うことで、チームの士気が下がらないように心掛けていました。
しかし、部活動禁止期間が終わってついに部活動再開となった時に、3年生の間で分裂が起きました。その分裂は、花園出場を目指し続ける部員と、全国大会が開催されるかわからない状況で部活と受験勉強を両立する中で勉強に力を注ぎたいという部員が過半数いたことから起こりました。
そこで1度、学年ミーティングを行い、「まだ全国大会は開催されるか未定だが、折角今まで努力したものが水の泡になるのも違うと思うし、どうしても自分はこのメンバーで花園に行きたいんだ。燃え尽きるまでやってみよう。」という思いを僕なりに伝えました。3年生皆が僕の思いに賛同してくれました。ミーティング以降士気を上げるために、「1日キャプテン制度」というものを作り、毎日キャプテンを3年生の中から1人決めて部活動を行いました。新チームが始まってから掲げてきた「全員ラグビー」というスローガンを達成するために、この制度は実践して良かったと今でも思っています。抱いてきた思いが実り、全国大会も開催されることが決まって、毎日死ぬ気で全員ラグビーを体現するために練習に励みました。花園予選が始まり、福高曲線のようにチーム力は高まっていった結果、夏合宿後には大敗してしまった小倉高校に準々決勝において勝利することができました。その勢いで準決勝の筑紫戦に臨むことができ、試合前半までは理想とする全員ラグビーを体現することができていました。しかしハーフタイムにおいて、「筑紫は後半絶対巻き返してくる」と話し合っていましたが、どこか僕の中でもチームの中でも、そわそわして焦ってしまっていたところがありました。その後あっという間に逆転されて、そのまま試合終了となりました。今でも筑紫戦の内容には後悔していて、夢には筑紫戦のワンシーンワンシーンが蘇ることがあり、朝起きたら涙で枕カバーが濡れていることがあるほどです。僕以外の仲間は皆、「全員ラグビーを体現しよう」と頑張ってくれました。主将である自分があの時にもっと厳しく伝えておけばと常に思い出します。それでも、全員ラグビーを体現できた花園予選の経験は、73回生全員にとって今後の人生において欠かせないものになったと思います。沢山のOBの方々、先生方、そして後輩のみんな73回生を支えてくださってありがとうございました。

最後に100周年事業に関しまして、取り纏めてくださる関係者の方々、大変感謝申し上げます。そして、福高ラグビー部関係者の方々、100周年誠におめでとうございます。