「級長の末裔―福岡高校、散った―」

西暦2008年11月8日、福岡県春日市、春日公園球技場、いま薄日が差したのに、たちまちナマズ色の雲に覆われ、やがて細い雨も混じる。少し冷えた。
午後1時4分。キックオフ。そこから前後半30分ずつ、まったく透明で、無菌で、なのに血、出血ではなく、少年の体内をごぼごぼと流れる血、その美しくて残酷な音の聞こえてきそうな時間は過ぎた。

15対38。

福岡高校ラグビー部は散った。

惜しくも?

いや、ただ散った。

散るつもりなど小指の先ほどもなかったけれど、ただ散った。花園へつながる準決勝を突破できなかった。翌朝の新聞の福岡市内版に結果だけを追ったならば「完敗」とくくられるスコアに散った。

昨年度全国制覇、東福岡高校の実力は確かだった。懐が深く、身体能力と球技の感覚に優れ、なお準備を怠らず、くらいついてくる相手へのリスペクトを忘れもせず、自信は揺るがなかった。

よき敗者は、勝者の美徳を引き出す。

福岡高校のラグビー、それを遂行する技量と体力と魂が、東福岡高校の深いところの強さを戦いながら磨いた。そんな試合だった。

表彰式が始まった。

真紅の胸に白線が二本、福岡高校の伝統のジャージィの胸は張られ、背筋が伸びた。 主将、松下彰吾、13番、その表情を描くだけの語彙を持たない。どうか「いい顔」で許していただきたい。世にも、いい顔。直視したら、たまらず涙腺はゆるむので、つい目をそらすほかなかった。

無念、自尊、愛情、矜持、感謝。歓喜と悪徳を除く人間のあらゆる感情は、高校3年生の全身に凝縮した。

スポーツの場にあって、いたずらに「伝統」を賛美したり、ふりかざしてはなるまい。 新しきチームにも「更新中の伝統」はある。いまそこにいる人間こそが最優先だ。

しかし、これだけは確かである。

ここに福岡高校のラグビーの伝統は生きている。

つくづく、チームとは、ひとりの人間であって、クラブとはそのまま人間の一生なのである。

1924年、大正13年、新聞に初めて「天気図」の載った年の7月11日、福岡の、いや九州の、いやいや日本のラグビー史にとっての大切な号令が、旧制・福岡中学の体育・教練担当、中園淳太郎より下された。

「級長集合!」

3年以上の正副級長が集まると、陸軍士官学校卒業の元陸軍大尉であるところの名物教師はおごそかに宣した。

「本日から諸君はラグビーを始めなくてはならない」

こうして九州の旧制中学に初のラグビー部は誕生した。もちろん初代部長は中園淳太郎その人である。

『千代原頭の想い出 福中・福高ラグビー五十年史』には、創部時の部員による次の内容の一文が残されている(要旨)。

「福中先輩の早稲田大学生からラグビーを紹介されると、中園先生は、審判に対しては絶対であり、雨にも負けず、時間厳守、試合中の負傷者の補充を許されない、といった紳士的・男性的特質に目をつけられた。そのころライバルの修猷館中学とは勉学では拮抗しながら、スポーツでは劣勢だったので、先生は、これで一歩先んじ、劣等意識を払拭できると考え、校技にまで育てる決意をされた」

同年9月30日、春日原での初試合、福岡中学は大分高等商業を3対0で破る。ここを源流に現在に至るまで全国制覇が三度、新島清、麻生純三、土屋英明、土屋俊明、山田敬介、現監督の森重隆、豊山京一、九州電力ヴォルテクスを率いる神田識二朗ら日本代表経験者をはじめ、まさに枚挙にいとまなし、あまたの名手、名指導者を輩出した「福中・福高ラグビー」の歴史は始まった。

文武両道。

これを、いわば表の精神とするなら、もうひとつ、創成期より福岡高校ラグビー部に連綿と流れるスローガンは次の一語である。

気合!

その具現としてのタックル。

きさん(貴様)、タックルせんか。

2008年の春日公園球技場。

キックオフが迫る。

あちら東福岡高校の選手たちは一糸乱れず、周到に用意されたウォームアップを時計仕掛けのごとくこなしている。
こちら福岡高校の面々は、幾分、のんびりしているように映った。しかし、キャプテンが集合の声をかけるや、雰囲気は一変、たちまちエネルギーは束となった。

古くからの応援歌「千代原頭」の合唱がインゴールの円陣で始まる。

千代原頭/緑をこめて/紫映ゆる/玄海の濤/十万夷狄の/血に肥えし/勇者九州男の誓いは固し

熱球血をすすりて/虚空に狂い/若き勇士の/肉弾の声/組みて倒るる/砂煙/春日原頭/笛の声高し

血に酔い肉に飽く/赫土の中/筑紫の山野/金風高し/肉弾相搏つ/争覇戦/共に謳わん/勝利の春を

激しく、勇ましく、気高く、どこか物悲しいようでもある。すぐそばで、次の試合に備える筑紫高校のメンバーたちが遠巻きに見入り、聞き入っていた。茶化すわけでもなく、奇異の目でもなく、素直に敬意の視線を送る。その様子が大変に感じよかった。筑紫、きっと、いいチームだ。

キックオフ。

すぐに福岡高校(以下、試合中の描写では福岡)の熱球血をすする決意、そして東福岡高校(以下、東福岡)の深い森のごとき自信はわかった。

まず書き残さなくてはならないのは、福岡のディフェンス、すなわちタックルである。

物理的にはありえぬが、どう記せばよいのか、重い液体がビューッとパイプを流れて強力な磁石にぶつかる。そんな感じだ。突き刺さるというより、相手の体の一部をこそげ落としてしまう。ヒットは硬く重い。それも単独でなく複数で。福岡の赤のジャージィは、例外なく、近くで動く東福岡の深緑色にその瞬間に飛びかかった。

タックルするけん。そんな気負いもなさそうだ。意識すらないのでは。ただ息をするようにビューッと追い込み、バチンと倒す。

そういえば前掲の『五十年史』にこんな一節があった。大正15年、初の全国大会出場を果たし、大阪の天王寺中学とぶつかった。試合前夜のミーティング、中園淳太郎部長は言った。「刀で相手の胴を切るのではない。腕で相手の胴を切るのだ」。健闘およばず敗れるも、毎日新聞はこう書いてくれた。

「福中は磨かれざる玉、九州男児の意気あり」

東福岡の巧みに力点をずらした体当たりにも勢いは増す。ただし福岡も一歩も引かない。

背番号6、徳永吉彦、背番号12、樺島亮太、君たちはそんなにもタックルを愛しているのか。

まさしく「腕で胴を切る者」の末裔である。

福岡のディフェンスは極度に前へ出るから、裏のスペースはたっぷりだ。東福岡は何度か一気にゲインを獲得できた。もっとも福岡の側からすれば、もともと限界まで防御ラインは飛び出しているので、かなり走られたようでも横なぐりのタックルで止めると、そこは攻撃の起点の平行線上だったりする。

懐かしかった。

これは、いつかのジャパンのディフェンスだ。そう。この薄日曇天小雨の午後、福岡高校は郷愁のチームでもあった。

日本式シャロー防御。浅いラインから触れられずに抜く接近プレー。15人のゴムマリのような軽快さ。ここには現在のジャパンのなくしたすべてがある。

3対12、前半終了直前、東福岡の計10次におよぶ複数回の攻撃をタックルまたタックルでしのぎ、ついに相手がノックオン。スクラムを得て、あと1プレーで終わるはずだった。

しかし、ここで東福岡の試合の流れをつかみ切る集中力が発揮された。見事なまとまりでスクラムをターンオーバー、そのまま展開して切り札の背番号13、猿楽直希がトライラインを陥れる。お見事。これは間違いなく新しき王者の「伝統」のレンガの一塊だ。

後半、福岡もラインアウトとスクラムからのサインプレーで一時は追い上げる。

福岡の1年生WTB、その名も福岡堅樹は細身ながら全身がスプリングにして剃刀のようでもあった。前日、愉快な関係者が、この未来のスピードスターに関する冗談を言った。

「人間というのは脳が指令を出して筋肉を動かすでしょう。その指令があまりに速いもんやけん、ハートが置き去りにされてますもんね」

いやいや、この試合でハートは脳の指令速度にともなった。人間の成長の瞬間!

福岡は攻めればゲインを切る。だが守り切れない。ミス、反則、ハイパントの勇敢なる好捕の直後のラックでほんのわずかにこぼれた球が相手に収まるような一瞬の空白、これらが、ことごとく流れを止め、負の方向へと流れを変えた。

そういえばトライの奪われ方も、往時(60年代後半から91年ワールドカップまで)のジャパンとそっくりだ。タックル連発で粘りに粘るもとうとうなだれ込まれ、予期せぬ乱れに対応できない。劣勢にも球さえ得られれば素早い展開が観客をわくわくさせるところも同じである。

さらに付記すれば、福岡には、80年代途中までの慶應大学のような完成されたハイパント攻撃への執着、近年の早稲田大学が失ったリスタートの意識の高さと素早さもあった。

ついでに述べると、大学でもトップリーグでもあやしくなってきたレフリーへの敬意と礼節をしっかり備えていた。

71年、昭和46年6月、鹿児島。

沖縄勢として初めて参加した九州大会で、県立読谷高校ラグビー部の安座間良勝監督は生涯忘れえぬ声を聞いた。

福岡高校との対戦。創部間もない読谷は必死にくらいつくも歯が立たずに0対66の完敗を喫した。いわばミスマッチ。それなのに試合の途中、福岡の選手が叫んだ。「いいか力を落とすな。沖縄の選手に失礼にあたるぞ」

琉球大学陸上部出身、沖縄国体のためにラグビー指導へ転じたばかりの安座間監督はびっくりした。

「ラグビーとは、こんなこと言うのか」

感動を覚え、船に揺られ、沖縄の港へ着くと、その場で宣言した。

「午後、校庭へ集合。練習するぞ」

ここが沖縄の高校ラグビーの本当の意味での出発点だった。

それは福岡高校ラグビー部にとっても大切なエピソードなのかもしれなかった。

福岡高校は負けた。東福岡との潜在力の総和では、まだまだ差があった。もっと大きく崩される危険もあった。そして、ぎりぎりのミスがミスとならず、すれすれの反則は反則でなく、完璧に作戦を遂行できていれば劇的な勝利の可能性もゼロではなかった。

いずれにせよジャパンがオールブラックス級の強豪にどうしても力届かぬのであれば、 こういうふうに負けてほしいと思った。冗談でも、常套の言い回しでもなく、日本代表のジョン・カーワンHCは福岡高校を見るべきだった。

キャプテンの松下彰吾が敗北の円陣に声を絞り出している。「福高のラグビー部でやってきたことを誇りに思うとうけん……」。そばに寄ると顔中から各種の液体が流れ落ちそうなので、約15メートルの距離を保って耳だけ傾ける。

福岡高校-明治大学-新日鐵釜石で俊敏にして勇敢なCTBとして名をはせた男、日本代表キャップ27、現在は家業のガラス会社経営の森重隆監督が、こちらへ向かってきて、 おどけてみせた。

「負けましておめでとうございます」

そうでもしていないと大声で泣いちゃうのだ。

 

 

  

 

2008年秋/書き下ろし

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藤島大「ラグビー大魂 DAI HEART」,ベースボール・マガジン社,2008年12月,10頁
著者の承諾のもと掲載しています

当時の高校3年生は高校61回。(高校62回が2年生・63回が1年生)

「71年、昭和46年6月、鹿児島。」からはじまる読谷高校のエピソードは、高校24回25回26回が現役の時代です。

試合の様子は動画「福高ラグビー部伝統のタックル集」2008年のところで一部ご覧いただけます

出場選手(旧HPより転載)

1.川上厚(2年) 2.栗原徹士(3年) 3.今村駿二(3年) 

4.重智廣(2年) 5. 犬塚貴文(3年) 

6.徳永吉彦(3年) 7.松島佑太(3年) 8.水上友輔(2年) 

9.中尾康太郎(1年) 10.真鍋健太郎(3年) 

11.福岡堅樹(1年) 12.樺島亮太(3年) 13. 松下彰吾(3年主将)

14.櫛山博史(3年) 15.松下真七郎(1年)

16.城塚功太郎(3年) 17.井之上享(1年) 18.田原啓伍(2年) 

19.中武信佑(3年) 20.井上大勇(2年) 21.松村敏朗(2年)

22.高取宏光(3年) 23.古賀祐介(3年) 24.白石翔(2年)

25.谷山俊平(1年)