1927年(昭和2年)卒
部長 中園淳太郎
主将 岩岡太郎→左座喜美男
部員
今村嘉蔵 | 古賀元晁 | 吉田俊雄 | 麻生徹男 |
猪野忠雄 | 高田大四郎 | 太田太郎 | 井原伍郎 |
堤千秋 | 野田寅次郎 | 溝口勇夫 | 光安万夫 |
山田公一 | 吉村順之 |
戦績
大正天皇崩御の為、全国大会予選・全国大会共に中止
寄稿 「序」今村嘉藏
特記事項
中園先生より「若人らしく情熱を表した赤地でユニフォームを」と提案があり、赤地に2本の白線ジャージになる。
初代主将は岩岡太郎。岩岡太郎は4年で卒業し旧制福岡高校(後の九大教養部)に進学したため5年時のキャプテンは左座喜美男。
ラグビー部歌「千代原頭」は左座喜美男の作。
吉田俊雄氏が作成したラグビールール及び競技法の印刷物を一部十銭で頒布。
創部メンバーが、進学先でラグビー部を次々に創部していった。
「旧制福岡高校(現九州大)で岩岡太郎、長崎高商(現長崎大)で山野仁、五高(現熊本大)で野田寅太郎、堤千秋、西南高商(現西南大)で高田大四郎、七校(現鹿児島大)で瓜生満の諸君がラグビー部を創設、佐高(現佐賀大学)では今村嘉蔵がラグビー部の主将として活躍」(50年史P12)ここに挙げた人物のうち瓜生満は中4回・山野仁は中5回、他はみな中6回生。Pⅳにも同内容が掲載。
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